Copyright 2017 - Japanese Christian Fellowship Network

大嶋重徳oshima KGK主事 ec11メッセージ 〜2012年4月会報より〜

「あなたがた」という神の国

神の国が「あなたがた」という複数形で語られていることは、キリスト教信仰のとても重要な性格を表現しています。プロテスタント信仰は、この「あなたがた」という側面がずっと弱いままできました。何よりも大切なのは「神対我」という神様との個人的な関係なのだ、と誤解されてきたのです。それゆえにクリスチャンになっても、時々「私は教会には行きません。私は自分で自分の信仰をやっていきますから。大切なのは神様と私の個人的な関係なのです。」というようなことを聞きます。しかしそれは、キリスト教信仰からすると相当的が外れているのです。そもそもキリスト教信仰とは個人プレーではなく、チームプレーなのです。神に「あなたがた」と語られ、「我ら」と答える信仰なのです。

我々のかたちに似せて、人が一人でいるのはよくない

神様は、私たちを「我々」という三位一体の神の交わりに似せ、神と交わりを持つ存在として造られました。ですからクリスチャンにとって 「交わり」というのはあってもなくてもいいというものではない。「まあ交わりとかあったほうが、クリスチャン生活が楽しいから」「交わり、そういうのはできたら面倒臭いので避けたいんですが。」というものではない。なぜなら、交わりに生きるということは、私たちの造られた意味と関わっているからです。

「あなたがた」の崩壊

しかしこの「あなたがた」「我々」は人が罪を犯してから崩壊しました。堕落の結果、三位一体の神の交わりに基礎を置いた「神の国」が、音を立てて崩れてしまったのです。現に、誰もが人間関係に痛みを持ち、失望しています。教会でもまた「所詮クリスチャンの交わりと言っても…」と最初から交わりに期待しようとしなかったり、あるいは過大な期待をして、後で激しく裁いてしまうのです。

「あなたがた」イスラエルとイエスキリストの弟子

しかし神様は、アダムとエバの夫婦とその子孫を諦めることはなさいませんでした。アブラハムを選び、イスラエルを選び、その共同体に「あなたがた」、「わたしのもの」と語り続けました。イエス様が12人の弟子達を選び出され、弟子集団を形成されたのも、この地上でまことの「我ら」を形成するためでした。主の祈りもそうです。「天にまします我らの父よ。」と複数形で祈ります。この父なる神は、私だけの父ではないのです。祈りながら隣に座っている人を意識し、さらにここに住む街が視野に入り、そして世界の国のことを思いながら、私たちは祈るのです。その時、私たちの祈りは「自分だけが良ければいい」という祈りや信仰ではなくなるのです。

聖霊の降臨と教会の誕生

そしてイエス様が天に昇られた後、約束された助け主、聖霊なる神がくだられました。今、聖霊なる神は、この地上で神の国の建設をしていくその中心に神の言葉を語り続ける「我ら」、すなわち教会を置いておられます。教会はこの世界に向かって、神の国の宣教の最前線に私たちの交わりを通して神の国を表わされているのです。

神の言葉と神の国

使徒の働き20章でパウロは、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」と語りました。すなわち聖書の言葉が語られることを通して「あなたがた」という神の国の交わりは形成されるのです。教会とは、聖書の言葉を語り、神の国の生き方がいかなるものか、そして私たちが神の国に生きてはいない現実は何であったのか、再びイエス様が来られる終末の神の国の完成に向かって、どのよう生きていくのかということを語り続ける交わりなのです。

成長する交わりとしての神の国、キリストのからだとしての教会

さらに神の言葉を中心に置いていくとき、神の国の交わりは成長していく性格を持ちます。私たちの交わりは、キリストのからだだとパウロは例えました。「からだ」ということは、全体として「成長していく」ことを意味しています。つまり、誰かの信仰が成長するときは、必ず自分も成長している。また誰かがイエス様のことが分からなくなり、心が痛んでいるとき、それは自分の心の痛みとして、共に痛むのです。そういう喜びや痛みを共にしながら、神の国の交わり、教会は共に成長していくのです。

愛によって生きる交わりとしての神の国、教会を建て上げる存在へと、教会に生きる信仰の大切さ

「成長する」存在である教会は、完璧な組織ではありません。時々「この教会には愛がない」「こんなのは教会じゃない」と聞きます。でも理想の教会などは地上にはどこにないのです。教会に生きるということは簡単なことではありません。時に苦しみの中に生きることもある訳です。特にこれから日本に帰国する人にとって、日本でクリスチャンであるということは簡単なことではありません。アメリカで信仰を持たれた場合は、帰国後、日本の教会との違いを感じるでしょう。そしてその違和感を愛することも簡単なことではありません。むしろ裁くことのほうが簡単です。でもイエス様は、どうしようもない私たちを愛することを選んでくださった。どうしようもない教会を愛してくださったのです。教会を表すコイノニアという言葉は、醵金(きょきん)という意味があり、自分の持っているものを「持ち寄ってくる」という意味があります。教会は受ける場所ではなく、あなたの持っているものをささげる場所なのです。そして、例えどんなにひどい失敗や人間的な欠けがあったとしても、聖書の言葉が語られる時に悔改め、裁くのではなく愛をもって受け入れ、成長する姿の中に神の国が現れるのです。

宣教の広がりをもつ「あなたがた」という神の国

この神の国のあなたがたは「広がる」あなたがただということに目を留めましょう。神の国の実現するその日には、神の国の民全員が神の国に戻ってきます。そのためにこの神の国の建設に必要なことは、「神の国の福音が全世界にのべ伝えられ、すべての国民に証しされる」ことなのです。この神の国は、福音が伝えられることを通して「あなたがた」が広がっていくのです。そして神の国の「あなたがた」が証しされていくときに神の国は完成するのです。神は、あなたが神の国の福音を伝えることを通して、あなたの家族を神の国に招いておられるのです。イエス様は、あなたが帰っていく先のあの日常で、あなたと共に神の国を広げること、あなたの家族や友人の救いを実現することを諦めておられないのです。

まとめ

神様は、ここからあなたをあの日常に送り出そうとされています。しかしあなたはそこで一人ではないのです。そこは、あなた一人で出てきたときとは全く違う場所になっています。ここにいる「あなたがた」という交わりがあなたをその場所に送り出しているのです。あなたは「我ら」と一緒にあの部屋に、あの職場に帰るのです。あの教会に行くのです。この交わりと共に私たちはここから遣わされていきたいと思います。信仰生活はチームプレーなのです。神の国のただ中から、さらなる「ただ中」へと遣わされていきたいと思います。

帰国者フォローアップ

地域の教会、集会、スモールグループ、友達探しのお手伝いもさせていただきます。

維持会員制度

維持会員制度についての詳細、お申し込みについては、こちらをクリックしてください。

献金

主がJCFNの必要を満たし続けてくださるようお祈りください。また、示される方は、こちらより献金のお手続きをしてください。

 

 

JCFN Facebook Display

f t g