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2011年12月18日
私たちは「平安の祈り」において、「この世においては、適度に幸せに、来たるべき世界においては、永遠に主とともに住み、最高に幸せになることができますように」と祈っています。それは私たちが、「地上では旅人であり寄留者であることを告白して」いることを意味します(ヘブル11:13)。
旧約聖書に記された祝福の約束は、「既に」実現している部分と、「まだ」実現していない部分があります。この両面が理解できていないと、「神がおられるなら、なぜ、こんなひどいことが許されるのか・・信じようと信じまいと、何も変わりはしない」ということになってしまいます。
アブラハムは神の約束を信じながら、当時、世界で最も豊かで文化的に発展していたメソポタミヤの地を離れ、神の示す地に行きましたが、約束のものを手に入れることはありませんでした。しかし、アブラハムは失望しながらその生涯を終えたわけではありません。
私たちもアブラハムと同じように、この世の富や権力に背を向けて、「神の都」に向けての旅を始めました。そこにはアブラハムが体験したと同じような試練がありますが、神に信頼して歩むときに、神がこの旅を成功させ、祝福してくださいます。
イエスによって、足のなえた人たちが癒され、盲人の目が開かれたのは、新しいエルサレムへの旅路を自分の足で歩むためであったということを忘れてはなりません。
1. 「かわいそうに・・」と言われたイエスの思い
「そのころ、また大ぜいの人の群れが集まっていたが」(8:1)とは、7章31節以降のガリラヤ湖の南東側デカポリス地方でのことです。そこは基本的に、異邦人が多く住んでいる地域でした。イエスは、「耳が聞こえず、口もきけない人」の両耳に指を差し入れ、つばきをしてその人の舌にさわられ、「エパタ(開け)」と言われてその人を癒されました。それを見た人々は、イエスに口止めされたにも関わらず、イエスのみわざを言いふらしました。
その結果、多くの人々が様々な障害を抱えた人々をイエスのみもとに連れてきました。その様子はマタイ15章29-31節に記されていますが、その結論ではそれによってイザヤ35章の預言が成就したと記されています。
イザヤは、「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う・・・彼らは主(ヤハウェ)の栄光を・・見る」という感動的な情景を描きながら、続けて、「見よ。あなたがたの神を・・神は来て、あなたがたを救われる。そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒地に川が流れるからだ・・・そこに大路があり・・主(ヤハウェ)に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜びながらシオンに入り・・とこしえの喜びをいただく」(イザヤ35:5,6,8,10)と、主が実現してくださる救いを描写しています。
そのような文脈の中で、四千人のパンの給食があります。6章の五千人のパンの給食は、「青草の上」でなされました。その対象もユダヤ人でした。しかし、今回の奇跡はデカポリス地方という異邦人が大多数を占める地で起こり、その舞台も「地面にすわる」(8:6)とあるように荒野でした。
それはイザヤが預言しているように荒野に「シオンへの大路」ができたことを指していると思われます。ここには、この地上の旅路というテーマがあると思われます。
そこでイエスは弟子たちに向かって「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです」(8:2)と言われました。「かわいそうに」ということばには、「はらわた」という意味があり、当時は、人の感情の生まれる器官を指していました。
エレミヤ31章20節には、放蕩息子エフライム民族に対する神の思いが、「わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」と描かれています。このみことばの黙想から北森嘉蔵の「神の痛みの神学」という世界的な名著が生まれました。神はご自分の民の自業自得の苦しみを見て、「哀れみに胸を熱く」しておられます。そして、神はご自分の民とともに痛み苦しんでおられるということを知らせるためにご自分のひとり子を私たちと同じ人間の姿でお送りくださいました。
なお、これらの人々が、もう三日間もイエスといっしょにいながら、食べるものを持っていないということは大きな驚きです。主は彼らのことを、「空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます」(8:3)と心配しています。この状況は前回の五千人のパンの給食のときより、はるかに深刻です。
それに対し、弟子たちは、「こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう」(8:4)と答えました。弟子たちは、五千人のパンの給食のときはイエスに、「みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください」(6:36)と具体的な解決策を提案しましたが、少なくともここでは、「どうしたらよいでしょう・・」という趣旨の問いになっています。その点では若干の成長がみられます。
私たちも、現実の難しさを知らない時には、非現実的な提案をすることができます。ニュース番組などを見ていても、「こうすればよい・・」などと、分かったようなことを言うコメンテーターなどを見ると腹が立つことがあります。しかし、人々の痛みや困難な現実を本当に心から理解するときに、私たちはことばを失い、「主よ、どうしたらよいのでしょう・・」と、ただ問うことしかできなくなります。
私たちは信仰の成長とともに、かえって、パウロのように「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようのない深いうめきによってとりなしてくださいます」(ローマ8:26)という、御霊の祈りへと進んでゆきます。私たちは多くの場合、「どう祈ってよいかわかりすぎている」ために、神と人とに失望しているのではないでしょうか。
2. 七のパンが七つの大籠一杯に増えた不思議
イエスは弟子たちにまず、「パンはどれぐらいありますか」(8:5)と尋ねました。先の五千人の給食では、イエスが弟子たちに、「パンはどれくらいありますか。行って見てきなさい」と命じ、その結果として、少年が持っていた五つのパンと二匹の魚が発見されましたが、ここでは、弟子たちは群衆の中を探し回ることもなく、「七つです」とすぐに答えています。弟子たちは群衆がお腹をすかせているのを見ていながら、自分たちのパンはしっかりと持っていたということかと思わされます。
かつてバビロン捕囚からエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちも、神殿建設を後回しにして、自分の生活を整えることに夢中になっていましたが、その時、主は預言者ハガイを遣わし、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」(ハガイ1:4)と叱責されました。イエスも、このとき、「この人々がお腹を空かせているのに、あなただけがパンを手元に持っていてよいのだろうか」と尋ねたいお気持ちだったかもしれません。
私たちもしばしば、自分の持っているものを差し出しても「焼け石に水」でしかないから、自分のものは手元に残しておいた方が現実的だと思うことがあるのではないでしょうか。
そのような中でイエスは、弟子たちを責めることもなく、淡々と次の行動に移ります。そのことが、「すると、イエスは群衆に、地面にすわるようにおっしゃった。それから、七つのパンを取り、感謝をささげてからそれを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った」と記されています(8:6)。先の五千人の給食では、イエスは弟子たちに、人々を五十名、百名と組みにして、青草の上に座らせるように命じましたが、ここではイエスが直接、群衆に座るように言われます。
ただ、その後のプロセスは基本的に同じで、イエスはパンの配給は弟子たちに任せています。私たちも何かの援助活動をするとき、自分で何かを生み出すのではなく、主が与えてくださった富を配っているに過ぎません。しかし、ここにおける弟子たちのように、ほんの少ししかもっていない自分のものをイエスに差し出した上で、主のみわざに参画させていただくとき、まさに自分の些細なささげものが大きな呼び水となり、人々の必要を満たしてゆくという不思議を体験させていただけます。自分のものを手元に残しておいたときにはわからなかった主の豊かさを味わうことができます。
今回の震災の被災地支援でも、援助活動に携わっておられる方は同じような恵みを味わっておられます。それこそが、主にある奉仕の醍醐味です。
そしてそこには、「魚が少しばかりあった」のですが、イエスは、同じように、「そのために感謝をささげてから、これも配るように言われ」ました(8:7)。少しの魚でも、それをパンに添えると、食が進んだことでしょう。その結果、「人々は食べて満腹した」というのです(8:8)。
なお、その際、イエスはパンも魚もご自分の手の中で裂いていたのですが、不思議に人々が満腹になって有り余るまで、次から次とパンも魚もイエスの手の中に生まれてきたのでしょう。これをどのように科学的に説明できるかはわかりません。しかし、イエスは父なる神とともに、何もないところからこの世界を創造された方であれば、それはごく簡単なことと言えましょう。
ただ、ここでは何もないところからパンを生み出す代わりに、弟子たちの手元にあった七つのパンを用いたということに大きな意味があります。それを見る時に、私たちも自分の手にあるわずかなものを差し出すことが決して焼け石に水ではないことがわかります。
その結果が、「余りのパン切れを七つのかごに取り集めた」という不思議になりました。五千人のパンの給食の際の十二のかごは、食料を入れる小さな「かご」でしたが、ここでの「かご」は旅行用の大きな荷物をいれるもので原文では明確に区別されています。
ここでの強調点は、弟子たちが、自分たちの旅行用の「かご」の中にひとつずつ隠し持っていた?なけなしの「七のパン」を差し出したところが、それが「七つの(大きな)かご」いっぱいのパンになったという不思議な変化でした。
私たちの教会でも、東日本大震災の際に、積極的に義捐金や援助物資を皆様から集めて被災地にお送りしましたが、結果的には、どの年よりも教会会計は豊かになっています。
そして、最後に、ここに集まっていた人の数が、「人々はおよそ四千人であった」と記されています。これも成人男性だけを数えた人数です(8:9、マタイ15:38参照)。
続いて、「それからイエスは、彼らを解散させられた」とありますが、イエスは人々の心も体もともに満たした上で、彼らをそれぞれの家に帰したのでした。
3.「天からのしるし」
その後、「そしてすぐに弟子たちとともに舟に乗り、ダルマヌタ地方へ行かれた」(8:10)と記されますが、この地名はよくわかりませんが、ガリラヤ湖の西側のユダヤ人の村であったことは確かです。「マグダラ」と解釈する人も多くいます。とにかく、そこに、「パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた」(8:11)というのです。これは、エリヤが天から火を呼んだような、圧倒的なしるしなのだと思われます。
その目的が、「イエスをためそうとしたのである」と記されています。パリサイ人たちも、イエスがなさった様々な不思議なわざを聞いていたことでしょうが、彼らにとってそれは黒魔術のようなものにしか思えませんでした。
それに対して、「イエスは、心の中で深く嘆息し」ます。それは深いため息とも言われる悲しみを表しています。その上でイエスは、「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません」と言われました(8:12)。イエスは先に、「耳が聞こえず、口のきけない人」を癒したとき、「このことを誰にも言ってはならない」と命じました。それは、ご自身のみわざを、ご自分が救い主であることの宣伝のためには用いようとしなかったという意味です。
マタイの並行記事でイエスは、「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません」(16:4)と答えておられます。ヨナはアッシリヤの首都ニネベに遣わされて神のさばきを訴えたところ、人々はすぐに悔い改めました。みことばの説教こそ、「ヨナのしるし」にほかなりません。
残念ながら、先入観や自分の構えが強すぎる人は神のみわざを認めることはできません。17世紀の最高の科学者パスカルは、「奇跡が一つがあれば、私の信仰は堅くされるであろうに」と、人が言うのは、「奇跡を見ないときである」(パンセ263)と言いました。
また、20世紀最高の科学者と称されるアインシュタインも、「人生にはたった二つの生き方があるだけだ。一つは奇跡などないかのような生き方、もう一つは、まるですべてが、奇跡であるかのような生き方だ」と言っています。
世界は不思議に満ちています。少なくとも私は、加速器を使って素粒子の構造を地道に調べている人に出会って初めて、聖書の奇跡を信じられるようになりました。問われているのは、科学的な知識などではなく、その人の、人生に対する心の構え、心の方向性です。
イエスのもとにただへりくだって、救いを求めてくる人は、驚くべき救いを体験することができました。信仰があるから奇跡がみられるというのではなく、神の前に自分の心を開くことができる人が神のふしぎなみわざを見ることができるのです。
自分流の信仰で神を見る人は、神のみわざを見失います。パリサイ人のように、誰の目からも信仰深く見える人は、かえって神のみわざを見ることができませんでした。心の柔軟さを求めてゆきたいものです。
4.「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか」
その後、「イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった」という不思議な場面が描かれます(8:14)。弟子たちは舟に乗ったあとで、あり余っていたパンがたったひとつしか手元にないことに気づいて、不安になったのだと思われます。
そのような中で、イエスは彼らに、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい」と言われました。「十分気をつけなさい」ということばは、「見る」という意味の二つの異なったギリシャ語を重ねています。肉の目と心の目で理解するように「見る」という思いが込められています。
当時の「パン種」は、十分に発酵した古い練り粉を残しておいて使いました。ユダヤ人は過ぎ越しの祭りには種を入れないパンを焼いて食べるように命じられていました。当教会の聖餐式のパンも、種なしパンです。それは腐りにくく長持ちします。パン種はパンを膨らますために用いられるもので、イエスはここでパリサイ人やヘロデの「見せかけ」に注意するように促したのです。
パリサイ人は、分離主義者で、みことばを用いて自分たちの枠にはまらない人を排除していました。ヘロデに従う人々は、現実主義者で、信仰を利用して権力を握ろうとしました。マタイの並行記事では、「サドカイ人のパン種」と記されていますが、ヘロデ党もサドカイ人も、超現実主義者という点では同じです。
どちらにしても、パン種がパンを腐敗させるように、パリサイ人もヘロデ党の者も、神のみことばの本質を捻じ曲げ、腐敗させていまいした。
現在も、みことばを良い生き方の教科書のように考える律法主義や、みことばをこの世で成功するための知恵のように求める人々がいます。最近の書店でも、聖書のことばを、人間関係やこの世を生きる上でのハウツー式のガイドとして提示する本が増えています。それは良い面と問題点もあります。
聖書は神からの愛の語りかけの書です。そこには独特のストーリーが描かれています。その全体のストーリーを理解することが何よりも大切です。
一方、弟子たちはイエスからパン種の注意を受けたとき、「パンを持っていないということで、互いに議論し始めた」(8:16)というのです。マタイでは、「これは私たちがパンを持って来なかったからだ」と言って議論したと記されています(16:7)。つまり、弟子たちは、イエスが責めているわけでもないことばを聞いて、自分が責められたと勝手に思ってしまったのです。
これは私たちにも起こることです。人は、心に何か自分を責める声を聞いている時、ちょっとしたひとのことばを攻撃に受け止めてしまうことがあります。そして、そこから争いが始まります。大切なのは自分の文脈で人の話を聞くのではなく、話し手の文脈に思いを向けることです。
「それに気づいてイエスは」、「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか」と彼らの問題を指摘しました(8:17)。
「わかる」とは、物事の本質を心で理解すること、「悟る」とは、物事を関連づけて理解することを指しました。「まだわからないのか」「まだ悟らないのか」と重ねることで、イエスは弟子たちの無理解に対するご自分の悲しみを表現しています。
弟子たちもパリサイ人たちと同じように、自分の基準によってイエスを見ようとしていました。「心が固く閉じている」とは、先に述べたように自分流の信仰に凝り固まっている状態です。
それに対してイエスは引き続き、「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか」(8:18)と重ねて、彼らの無理解を指摘しました。
これは私たち自身に当てはめて理解されるべきことばです。聖書を繰り返し読んでいても、毎週礼拝に出席していても、それまでの先入観や価値観がこびりついているので、神のみこころを見ることも、聞くこともできないという面が私たちにあります。
ですから、私たちも、「エパタ(開け)」というイエスの創造のみことばによって、霊の目と霊の耳を開いていただく必要があります。
そしてイエスは改めて、「わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか」と問います。それに対して、彼らは「十二です」と答えます(8:19)。それに続いて、「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか」と尋ね、彼らは「七つです。」と答えます。具体例こそが、人の心を開く上で有効だからです。
ちなみに、ここでも「かご」という原語の使い分けがあります。NKJ訳では、わざわざ後者を、「large baskets」と区別して訳しています。
その上で、イエスは、「まだ悟らないのですか」と言われました。彼らは何を悟るべきなのでしょう。それはイエスこそが旧約が預言してきた救い主であり、モーセ以上の者であるということです。
神の御子が彼らとともにいてくださるということが、どれだけ大きなことかということを彼らは知るべきでした。イエスがともにいてくださるなら、すべての必要が満たされます。イエスがともにいてくださるなら、人生に何の怖いものもないはずなのです。
ずっと前の話ですが、ダカール・ラリーで有名なアフリカ西部の国、セネガルの牧師がアメリカ留学から帰ってきたとき、人々は、「アメリカには豊富な食料があるということだが、彼らは大食いなのか」と聞きました。それに対して彼は、「セネガルの宴会に比べると、アメリカ人は大食いではない。でも彼らは始終食べている」と答えたとのことです。
セネガル人は少量の食料でお腹を空かせながら数日間の狩猟に出かけ、大きな獲物をしとめたときは、皆で大量に食べました。そこに何よりの大きな喜びがありました。本当の意味での空腹を体験しなければ、腹が満たされることの恵みが分かりません。
ファストフードが流行っている中で、人々の心から、「待ち望む」ことの恵みの体験が失われています。実は、アメリカ人も日本人も、いつも何かに飢えているからこそ、始終食べているのではないでしょうか。でもそれは、食料よりも、感動への飢えではないでしょうか。それは心の飢餓とも言われます。
キリストがともに歩んでくださる恵みとは、「空腹を感じる前にいつでも食べ物がある・・」という状態を指しはしません。「いつも、何かが足りないようでありながら、振り返ってみると、必要が満たされていた」という世界です。
それはファストフードの世界ではなく、お腹を空かせながらみんなで祈り、収穫を分かち合って喜ぶという世界です。
私たちの目の前には、いつも何かの問題があります。しかしそれは、キリストがすべての必要を満たしてくださるという体験をする機会でもあります。インスタントに必要が満たされるのではなく、主の救いを待ち望みながら祈る中で、必要が満たされるという恵みを体験させていただきましょう。
私たちは、日々、「日毎の糧を与えてください」と祈るように教えられています。この祈りは、日々、何かが不足している状態が前提とされています。人によっては、「私は不足を感じることがありません・・」と言うかもしれません。しかし、そのような人は、愛が足りない人ではないでしょうか。それがパリサイ人の、またヘロデのパン種の問題でした。世界の痛みの声を聞き、自分が何かをしたいと願い、そして、自分の働きの範囲を広げるなら、「お金も人材も、いつも足りない・・」と思うのが当然です。自分だけのために生きているから、不足を感じないのです。

しかし、そのような人に本当に足りないのは、「生きる感動」なのかもしれません。自分の枠から出て働きを広げる時、そこには神の不思議なみわざが満ちています

 

今日は聖書全体を概観しながら特にイザヤ52-55章との関連でイエスのエルサレム入城のことを語りました。お読みいただければ幸いです。

2012年6月24日

今から百年余り前にフランスの画家ポール・ゴーギャンは、『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』という長いタイトルの大きな絵を描きます。

私たちの人生には様々な予測不能なことが起きますが、これを理解しているとき、目の前の様々な問題を、もっと余裕をもって見ることができるようになるのではないでしょうか。その意味で、聖書の始まりと終わりという大枠をとらえることは、何よりも大切なことです。

 

人間の歴史はエデンの園から始まります。それは、神の祝福に満ちた神殿でもありました。人はそこに、「神のかたち(image of God)」として創造され、その園を管理する者として置かれました。この世の神殿には神々のイメージが飾られますが、エデンにおいて神のイメージを現すのは、何と、人間自身だったのです。

そしてエデンの園における礼拝の中心は、「善悪の知識の木」だったかもしれません。それは、神こそが善悪の基準であることを示すシンボルでした。人は、そこで神のあわれみに満ちたことばと、超えてはならない限界を示すみことばを聞きました。

しかし、人は、その限界を超え、自分自身を善悪の基準とし、自分を神としてしまい、エデンの園から追い出されました。つまり、人類の歴史の悲惨は、最初の人間が、神の宮から追い出されたことから始まったのです。

 

その後、神はご自身の側からアブラハムを選び、神の民を創造し、彼らの真ん中に住むと約束されました。神はアブラハムの子孫をエジプトで増え広がらせた後、そこから約束の地へと導かれました。

その際、神はご自身が彼らの真ん中に住むしるしとして、「幕屋」を建てさせました。神は、人間と同じレベルにまで降りて来られ、地上の幕屋から人間に語りかけてくださいました。それはカナンの地をエデンの園のような祝福の世界にするためでした。

 

ところが、イスラエルの民は何度も神に逆らいました。それでも神は彼らをあわれみ、神の前に謙遜なダビデを王として立て、目に見える神の国を築き、その中心に、ダビデの子のソロモンを通して壮麗な神殿を立てさせました。宮が完成した時の様子が、「雲が主(ヤハウェ)の宮に満ち・・・祭司たちは・・そこに立って仕えることができなかった。主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちたからである」と描かれていました(Ⅰ列王8:10,11)。それは神が彼らの真ん中に住んでくださったというしるしでした。

ところがイスラエルの民はその後も、神に逆らい続けました。それで、神はついに、ご自身の神殿から立ち去ってしまわれました。そして、神殿はただの石の家になりました。その結果、エルサレムの町も神殿もバビロン軍によって廃墟とされました。その後、神の臨在のしるしであった「契約の箱」の行方すら分からなくなりました。

その後、ペルシャの王クロスの勅令によって、エルサレム神殿は再建されますが、この第二神殿はその後、一度も、神の栄光に包まれるということはありませんでした。

 

そのため、当時のユダヤ人たちは、ソロモンの神殿のときのように、この宮に神の栄光が戻ってくることを待ち望んでいました。そのような中で、イエスは「ダビデの子」としてそこに入って来られました。それは神の栄光が神殿に戻ってきたしるしでした。

そして今、私たちの救いが完成するのは、「新しいエルサレムが・・天から下って来る」ときですが、そこで実現する情景が、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである」(黙示21:3,4)と描かれます。

私たちは最初の神殿である「エデンの園」と、来るべき神殿である「新しいエルサレム」の間に、「神のかたち」として置かれ、様々な悲しみや苦しみの中にありながら、神の宮としての信仰共同体を今、形成しているのです。

 

1.『主がお入用なのです。すぐにまたここに送り返されます』と言いなさい

10章ではイエスがエリコを通られたとき、道端に座っていた盲人バルテマイが、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けた様子が描かれていました。

彼がイエスを「ダビデの子」と呼んだのは不思議なことです。イエスは彼の目を見えるようにした上で、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言って、彼の信仰を称賛しました。それから、バルテマイは道の真ん中を歩いて、イエスに従ってエルサレム上って行きました。

 

ちなみにエリコはヨルダン渓谷の低地にあり、世界で最も低地の町と言われます。そこは約海抜マイナス240mですが、そこから標高800mのエルサレムまで、標高差一千メートルを一気に上がることになります。巡礼に来る人は、オリーブ山から見下ろすエルサレム神殿の輝きに深い感動を覚えます。

イエスの時代、ヘロデが大拡張工事をした神殿が、世界の奇跡として立っていました。しかし、当時の人々はみな知っていました。そこには神殿の心臓である「契約の箱」が存在せず、その宮は一度も神の栄光の雲に包まれたことがないことを・・・。

 

そして、今、イエスと弟子たちがエルサレムを訪ねている季節は、春の過ぎ越しの時でした。これはイスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地に向かっての一歩を踏み出したことを記念する祭りでした。ユダヤ人たちはこの祭りの時には、全世界からエルサレムに上り、祭りを祝いつつ、神の救い、神の国の実現を待ち望んでいました。

それは、神が自分たちの真ん中に住んでくださるときでした。イエスの弟子たちも、エリコからエルサレムに向かって、登山のような歩みをしながら、神の国の実現への期待に胸を躍らせていたことでしょう。

 

11章初めでは「さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき」と記されますが、オリーブ山はエルサレムのすぐ東にある標高817mの山で、このふたつの村はその南から東麓にあった村です。

ここからエルサレムは目と鼻の先ですが、ここにきてイエスは不思議な行動を取ります。

 

そこで、「イエスはふたりの弟子を使いに出して」、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい」と言われました。まるでイエスには透視能力があるかのようですが、これはご自分のエルサレム入城を、預言の成就として、劇的に演出するためだったと思われます。

ゼカリヤ9章では、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(9節)と記されているからです。軍馬ではなく、戦いを止めさせることの象徴として、ろばの子に乗って、人々の歓呼の中を入城するというのがその預言の中心的な意味です。

 

そればかりか、イエスは、「もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい」と弟子たちが直面する質問とそれに対する返答の仕方まで指示されました。

そして、その後のことが、「そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた」と描かれます(11:4)。これはまさに、すべてのことがイエスの言われた通りに進んでゆくことを示したものです。

ただ、これはイエスの神としての超能力という以前に、彼が預言者のことばを心から深く味わい、それを実現することにご自分の使命を確信し、それに従って父なる神に祈られ、その答えをいただくことができたことの結果と言えましょう。ここに、父なる神と御子イエスとの共同演出の成果が見られます。

 

そして、その後のことが「すると、そこに立っていた何人かが」、「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか」と言い、「弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた」と描かれています(11:5,6)。弟子たちは、そこで「主がお入用なのです・・」と言ったのですが、これは村人たちもイエスのことを既に知っており、その権威に服したという意味です。

この描写は驚くほど簡潔ですが、それによって、イエスの「王としての権威」が強調されます。イスラエルの栄光の王ダビデが自分の部下を用いてこれを行ったとしたら、誰も驚きはしません。「ダビデ王がお入用なのです」と言われて断ることができる国民などはいないからです。

今、イエスは、待ちに待ったダビデの子としてエレサレムに入城するのです。これぐらいのことが起こるのは当然のことと言えましょう。

 

イエスは、今も私たちが大切にしているものを用いてくださるために、全世界の王としてその弟子を遣わし、「主がお入り用なのです」と言わせることがあります。「ろばの子」を差し出した村人がそれを躊躇なく承諾したのは、「すぐにまたここに送り返されます」ということばに信頼したからではないでしょうか。

私たちの教会も今、一時的に、「ろばの子」の代わりに、教会債として信者の方々の大切なお金を、お貸しいただくことを願っています。しかし、それは「送り返される」ものです。一時的に、主のご入用のために用いられることは非常に名誉なことです。

 

2.「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」

その後のことが、「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた」と描かれます(11:7)。イエスはまさにご自分がゼカリヤの預言を成就するという自覚を持って、王として行動しておられます。

イエスはこの四日後、「祭司長、律法学者、長老たちから指し向けられた」人々に捕えられ(14:43-46)、ユダヤ人の最高議会で死刑に定められ、ローマ帝国の総督に引き渡され、その翌日の金曜日には十字架にかけられて殺されます。人間的には、そこではイエスの無力な姿が描かれているように思えますが、イエスはそのすべての始まりのエルサレム入城をご自分で正確に把握し、演出しておられたのです。

 

そして、イエスがろばの子に載ってエルサレムに入城されると、「多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」(11:8)と描かれます。

当時の人々は上着を何枚も持ってはいません。それをイエスがろばに乗って進む道の前に惜しげもなく敷いたというのです。これは、まさに、人々がイエスを待望の王、「ダビデの子」として認めたというしるしです。

Ⅱ列王記9章13節では、アハブの家を滅ぼすために神がエフーを王として立てたということを認めた者たちは、「大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入り口の階段の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、『エフーは王である』と言った」と記されています。新しい王を迎えるとき、家来たちは我先にと自分の上着を敷物として差し出して臣従を誓うのが慣わしでした。

 

また、「ほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」とは、神殿の解放者を迎える姿勢です。

この約200年前に、シリヤ全域を支配したギリシャ人の王アンテイオコス・エピファネスがエルサレム神殿にゼウスの像を置き、祭壇に豚のいけにえをささげさせて神殿を汚したとき、ユダ・マカベオスに導かれたユダヤ人が、ゲリラ戦によって奇跡的な勝利を収め、神殿をきよめました。

そのとき人々は、「テュルソスと青葉の小枝と、しゅろの葉をかざして、ご自分の場所の清めを成功させた方に賛歌をささげた」(Ⅱマカバイ10:7)とありますが、当時の人々はイエスがユダ・マカベオスのような軍事指導者であることを期待して、このように迎えたのです。

 

そしてそこでは、「前を行く者も、あとに従う者も」、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びました(11:9)。それは詩篇118篇25、26節に基づいています。

そこでは、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ救ってください。ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ栄えさせてください。主(ヤハウェ)の御名によって来る人に祝福があるように」と記されます。

ここで「どうぞ救ってください」ということばはヘブル語で「ホシアナ」と記され、それがアラム語化して「ホサナ」という叫びになったのだと思われます。ただ、イエスの時代にはこのことばは、神の栄光をたたえる賛美の感嘆詞のようにも用いられていたようです。

不思議なのは、これをイエスに向かって叫びながら、イエスを「主の御名によって来られる方」としてたたえていることです。これは、イエスを期待された救い主として認めたという意味です。

 

ルカではこれと並行して、「するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください』」(19:39)と言ったと記しています。パリサイ人たちの目には、人々が神の代わりに人間をあがめていると思われたからです。

世の人々は、イエスを最高の道徳教師であるかのように見ていますが、もしそれが事実なら、パリサイ人の言うとおり、イエスはこのような賛美を止めさせるべきでした。

ところがイエスはここで、「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(19:40)と答えました。イエスはご自分こそが、「主の御名によって来られる王」であると主張されたのです。

イエスは、決して、謙遜な道徳教師の枠に納まる方ではありません。イエスはここで、ご自身の身をもって、聖書の預言を成就しようとされたのです。

 

3.「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に」

そればかりか、彼らは「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に」と叫んだと、マルコは記録しています。これは、イエスによって新しいダビデ王国が実現したという途方もない宣言です。

それは、ユダ・マカベオスが神殿をきよめ、その後、約百年間続くユダヤ人の独立国家を建てたことを思い起こさせる表現です。

当時の人々はイエスをそのようなにローマ帝国の支配からの解放者として受け止めたことでしょう。

 

預言書を概観するなら、これがどれだけ画期的な意味を持つかが分かります。イエスの時代の人々は、ヘロデが大拡張工事をした壮麗な神殿が、ソロモンの時のように、神の栄光の雲に包まれることを確かに期待していた面がありました。

ヘロデは自分をイスラエルの救い主として見せるために、神殿に莫大なお金をつぎ込みました。しかし、人々はヘロデの支配に心から失望し、真の「神の国」の実現を待ち望んでいました。

そして今、イエスがエルサレムに預言された王として入城するとは、この「神の栄光」がエルサレムに戻ってくることを意味しました。

 

主はかつて御使いを通して預言者エゼキエルに終わりの日にエルサレム神殿に起こる幻を、「イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた・・主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってきた」と描いています(43:2-4)。

これこそ旧約の預言者たちが待ち焦がれていた喜びの時でした。多くの人々は見過ごしていますが、これこそ「神の国」の幕開けのしるしだったのです。

 

ところがこの福音書では、イエスが神殿に入られたことがエゼキエルの預言を成就することであることを隠すように、あまりにもあっけなく、「こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた」(11:11)と描かれます。

当時の人々にとっても、これはあまりにも物足りないことだったのではないでしょうか。しかし、イエスが神殿の中の「すべてを見て回った」ときに、何を思われたことでしょう。それは、翌日に宮の中で売り買いしている人を追い出すという宮清めのわざにつながります。

イエスは、神殿が見かけだけのものになっていることに心を痛められたと思われます。

 

モーセが神の幕屋を建てたときも、ソロモンが神殿を建てたときも、栄光の雲がその宮を覆い、祭司たちばかりかモーセでさえも近づくことができなくなりました。

イエスがご自身の父の家に入られたときの様子は、それに比べ、あまりにもあっけないものです。しかし、それこそ、預言者たちが憧れていた画期的な時代の始まりでした。

 

使徒パウロは、イエスによる救いを宣べ伝えることの祝福を、「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:15)と記しますが、それはイザヤ52章7節のみことばの引用でした。

そこでは、「その足は、平和を聴かせ、幸いな福音を伝え、『あなたの神が王となる』とシオンに告げる救いを聴かせる」(私訳)と解説されています。

そして、そのとき人々が共に喜ぶ理由が、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られるのをまのあたりに見るからだ」と説明されます。ただ、その上で、主がシオンに帰られるときの様子が、イザヤ52章13節から53章12節の「主のしもべの歌」として記されます。

つまり、イザヤの預言においては、「あなたの神が王となる」、また「主がシオンに帰られる」という世界の歴史を変える画期的な出来事が、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、苦しみの人で病を知っていた」(53:3)という、あまりにも意表をつく「主のしもべの姿」によって現されると預言されていたのです。

 

イエスのエルサレム入城は、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られる」という預言の成就でした。しかし、それは人々の意標をつく姿によってでした。人々はイエスを、独立王国を立てるダビデの子として、神殿の解放者ユダ・マカベオスの再来として迎えました。

しかし、イエスはご自分を、ゼカリヤが預言した柔和な王として示しましたが、彼らの期待するような行動は何もしませんでした。

イエスはエルサレムにも神殿にも、何の変化ももたらしてはいないように見えました。しかし、主はこのとき、彼らの期待とは異なる「神の国」を示しておられたのではないでしょうか。

 

預言者イザヤは、主のことばが歴史を完成に導く姿を、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ・・・パンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる」(55:10,11)と記します。

そして、私たちの救いが完成に導かれる様子が、「まことにあなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く」(55:12)と描かれます。

私たちは今、サタンの支配から解放されて「新しいエルサレム」に向かって旅をしています。そのときの希望が、「山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」(55:12,13)と描かれます。

「いばら」は人を傷つける役に立たない木の代名詞ですが、「もみの木」とは「糸杉」とも訳され、神殿建設にも用いられた高価な木材です。「おどろ」もとげのある雑草ですが、「ミルトス」とはその果実には鎮痛作用があり、祝いの木とも言われます。

これは、「のろい」の時代が過ぎ去り、「祝福」の時代が来ることを象徴的に描いた表現です。そしてそのような自然界の変化こそ、「主(ヤハウェ)の記念となり、絶えることのない永遠のしるし」となります。

 

これこそ、「新しい天と新しい地」の象徴的な表現です。残念ながら、多くの人は、これらのみことばの深みを十分に味わうことができていないように思います。

私たちの「救い」は全被造物の救いにつながり、アダムの罪によってのろわれた地が、神の祝福に満たされた世界へと変えられるのです。

私たちの希望は、私と身近な人が天国に入れられるという個人的な救いばかりではなく、全世界が神の平和に満たされるという希望です(ローマ8:19,21)。

 

神はこの世界をご自身の神殿として、ご自身の栄光を現す場として創造されました。そして人間こそ、そこにおけるかけがえのない「神のかたち(イメージ)」です。

目に見える建物以前に、私たちの交わり自体が今、神の神殿とされています。そして、この神殿は、栄光に満ちた完成へと向かっています。

イエスこそ真の神のイメージであり、私たちの王です。イエスはご自分が「ダビデの子」、「救い主」であることを、エルサレム入城の際に明確に示されました。ただ、それはこの世の戦いの指導者ではなく、イザヤが預言した「主(ヤハウェ)のしもべ」としての姿でした。

 

この世界には、被造物の「うめき」が満ちています。世界は変えられる必要があります。そのためには権力を握ることが大切かもしれません。

しかし、偉大な理想を掲げたはずの人が、かえってこの世に争いと混乱を広げてきたというのが人類の歴史ではないでしょうか。力は力の反動を生みます。

「神の国」は、神の御子がしもべの姿となることによって始まったことを忘れてはなりません。あなたの隣人にどう接するかが何よりも問われているのです。今日は聖書全体を概観しながら特にイザヤ52-55章との関連でイエスのエルサレム入城のことを語りました。お読みいただければ幸いです。

2012年6月24日

今から百年余り前にフランスの画家ポール・ゴーギャンは、『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』という長いタイトルの大きな絵を描きます。

私たちの人生には様々な予測不能なことが起きますが、これを理解しているとき、目の前の様々な問題を、もっと余裕をもって見ることができるようになるのではないでしょうか。その意味で、聖書の始まりと終わりという大枠をとらえることは、何よりも大切なことです。

 

人間の歴史はエデンの園から始まります。それは、神の祝福に満ちた神殿でもありました。人はそこに、「神のかたち(image of God)」として創造され、その園を管理する者として置かれました。この世の神殿には神々のイメージが飾られますが、エデンにおいて神のイメージを現すのは、何と、人間自身だったのです。

そしてエデンの園における礼拝の中心は、「善悪の知識の木」だったかもしれません。それは、神こそが善悪の基準であることを示すシンボルでした。人は、そこで神のあわれみに満ちたことばと、超えてはならない限界を示すみことばを聞きました。

しかし、人は、その限界を超え、自分自身を善悪の基準とし、自分を神としてしまい、エデンの園から追い出されました。つまり、人類の歴史の悲惨は、最初の人間が、神の宮から追い出されたことから始まったのです。

 

その後、神はご自身の側からアブラハムを選び、神の民を創造し、彼らの真ん中に住むと約束されました。神はアブラハムの子孫をエジプトで増え広がらせた後、そこから約束の地へと導かれました。

その際、神はご自身が彼らの真ん中に住むしるしとして、「幕屋」を建てさせました。神は、人間と同じレベルにまで降りて来られ、地上の幕屋から人間に語りかけてくださいました。それはカナンの地をエデンの園のような祝福の世界にするためでした。

 

ところが、イスラエルの民は何度も神に逆らいました。それでも神は彼らをあわれみ、神の前に謙遜なダビデを王として立て、目に見える神の国を築き、その中心に、ダビデの子のソロモンを通して壮麗な神殿を立てさせました。宮が完成した時の様子が、「雲が主(ヤハウェ)の宮に満ち・・・祭司たちは・・そこに立って仕えることができなかった。主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちたからである」と描かれていました(Ⅰ列王8:10,11)。それは神が彼らの真ん中に住んでくださったというしるしでした。

ところがイスラエルの民はその後も、神に逆らい続けました。それで、神はついに、ご自身の神殿から立ち去ってしまわれました。そして、神殿はただの石の家になりました。その結果、エルサレムの町も神殿もバビロン軍によって廃墟とされました。その後、神の臨在のしるしであった「契約の箱」の行方すら分からなくなりました。

その後、ペルシャの王クロスの勅令によって、エルサレム神殿は再建されますが、この第二神殿はその後、一度も、神の栄光に包まれるということはありませんでした。

 

そのため、当時のユダヤ人たちは、ソロモンの神殿のときのように、この宮に神の栄光が戻ってくることを待ち望んでいました。そのような中で、イエスは「ダビデの子」としてそこに入って来られました。それは神の栄光が神殿に戻ってきたしるしでした。

そして今、私たちの救いが完成するのは、「新しいエルサレムが・・天から下って来る」ときですが、そこで実現する情景が、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである」(黙示21:3,4)と描かれます。

私たちは最初の神殿である「エデンの園」と、来るべき神殿である「新しいエルサレム」の間に、「神のかたち」として置かれ、様々な悲しみや苦しみの中にありながら、神の宮としての信仰共同体を今、形成しているのです。

 

1.『主がお入用なのです。すぐにまたここに送り返されます』と言いなさい

10章ではイエスがエリコを通られたとき、道端に座っていた盲人バルテマイが、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けた様子が描かれていました。

彼がイエスを「ダビデの子」と呼んだのは不思議なことです。イエスは彼の目を見えるようにした上で、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言って、彼の信仰を称賛しました。それから、バルテマイは道の真ん中を歩いて、イエスに従ってエルサレム上って行きました。

 

ちなみにエリコはヨルダン渓谷の低地にあり、世界で最も低地の町と言われます。そこは約海抜マイナス240mですが、そこから標高800mのエルサレムまで、標高差一千メートルを一気に上がることになります。巡礼に来る人は、オリーブ山から見下ろすエルサレム神殿の輝きに深い感動を覚えます。

イエスの時代、ヘロデが大拡張工事をした神殿が、世界の奇跡として立っていました。しかし、当時の人々はみな知っていました。そこには神殿の心臓である「契約の箱」が存在せず、その宮は一度も神の栄光の雲に包まれたことがないことを・・・。

 

そして、今、イエスと弟子たちがエルサレムを訪ねている季節は、春の過ぎ越しの時でした。これはイスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地に向かっての一歩を踏み出したことを記念する祭りでした。ユダヤ人たちはこの祭りの時には、全世界からエルサレムに上り、祭りを祝いつつ、神の救い、神の国の実現を待ち望んでいました。

それは、神が自分たちの真ん中に住んでくださるときでした。イエスの弟子たちも、エリコからエルサレムに向かって、登山のような歩みをしながら、神の国の実現への期待に胸を躍らせていたことでしょう。

 

11章初めでは「さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき」と記されますが、オリーブ山はエルサレムのすぐ東にある標高817mの山で、このふたつの村はその南から東麓にあった村です。

ここからエルサレムは目と鼻の先ですが、ここにきてイエスは不思議な行動を取ります。

 

そこで、「イエスはふたりの弟子を使いに出して」、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい」と言われました。まるでイエスには透視能力があるかのようですが、これはご自分のエルサレム入城を、預言の成就として、劇的に演出するためだったと思われます。

ゼカリヤ9章では、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(9節)と記されているからです。軍馬ではなく、戦いを止めさせることの象徴として、ろばの子に乗って、人々の歓呼の中を入城するというのがその預言の中心的な意味です。

 

そればかりか、イエスは、「もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい」と弟子たちが直面する質問とそれに対する返答の仕方まで指示されました。

そして、その後のことが、「そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた」と描かれます(11:4)。これはまさに、すべてのことがイエスの言われた通りに進んでゆくことを示したものです。

ただ、これはイエスの神としての超能力という以前に、彼が預言者のことばを心から深く味わい、それを実現することにご自分の使命を確信し、それに従って父なる神に祈られ、その答えをいただくことができたことの結果と言えましょう。ここに、父なる神と御子イエスとの共同演出の成果が見られます。

 

そして、その後のことが「すると、そこに立っていた何人かが」、「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか」と言い、「弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた」と描かれています(11:5,6)。弟子たちは、そこで「主がお入用なのです・・」と言ったのですが、これは村人たちもイエスのことを既に知っており、その権威に服したという意味です。

この描写は驚くほど簡潔ですが、それによって、イエスの「王としての権威」が強調されます。イスラエルの栄光の王ダビデが自分の部下を用いてこれを行ったとしたら、誰も驚きはしません。「ダビデ王がお入用なのです」と言われて断ることができる国民などはいないからです。

今、イエスは、待ちに待ったダビデの子としてエレサレムに入城するのです。これぐらいのことが起こるのは当然のことと言えましょう。

 

イエスは、今も私たちが大切にしているものを用いてくださるために、全世界の王としてその弟子を遣わし、「主がお入り用なのです」と言わせることがあります。「ろばの子」を差し出した村人がそれを躊躇なく承諾したのは、「すぐにまたここに送り返されます」ということばに信頼したからではないでしょうか。

私たちの教会も今、一時的に、「ろばの子」の代わりに、教会債として信者の方々の大切なお金を、お貸しいただくことを願っています。しかし、それは「送り返される」ものです。一時的に、主のご入用のために用いられることは非常に名誉なことです。

 

2.「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」

その後のことが、「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた」と描かれます(11:7)。イエスはまさにご自分がゼカリヤの預言を成就するという自覚を持って、王として行動しておられます。

イエスはこの四日後、「祭司長、律法学者、長老たちから指し向けられた」人々に捕えられ(14:43-46)、ユダヤ人の最高議会で死刑に定められ、ローマ帝国の総督に引き渡され、その翌日の金曜日には十字架にかけられて殺されます。人間的には、そこではイエスの無力な姿が描かれているように思えますが、イエスはそのすべての始まりのエルサレム入城をご自分で正確に把握し、演出しておられたのです。

 

そして、イエスがろばの子に載ってエルサレムに入城されると、「多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」(11:8)と描かれます。

当時の人々は上着を何枚も持ってはいません。それをイエスがろばに乗って進む道の前に惜しげもなく敷いたというのです。これは、まさに、人々がイエスを待望の王、「ダビデの子」として認めたというしるしです。

Ⅱ列王記9章13節では、アハブの家を滅ぼすために神がエフーを王として立てたということを認めた者たちは、「大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入り口の階段の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、『エフーは王である』と言った」と記されています。新しい王を迎えるとき、家来たちは我先にと自分の上着を敷物として差し出して臣従を誓うのが慣わしでした。

 

また、「ほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」とは、神殿の解放者を迎える姿勢です。

この約200年前に、シリヤ全域を支配したギリシャ人の王アンテイオコス・エピファネスがエルサレム神殿にゼウスの像を置き、祭壇に豚のいけにえをささげさせて神殿を汚したとき、ユダ・マカベオスに導かれたユダヤ人が、ゲリラ戦によって奇跡的な勝利を収め、神殿をきよめました。

そのとき人々は、「テュルソスと青葉の小枝と、しゅろの葉をかざして、ご自分の場所の清めを成功させた方に賛歌をささげた」(Ⅱマカバイ10:7)とありますが、当時の人々はイエスがユダ・マカベオスのような軍事指導者であることを期待して、このように迎えたのです。

 

そしてそこでは、「前を行く者も、あとに従う者も」、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びました(11:9)。それは詩篇118篇25、26節に基づいています。

そこでは、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ救ってください。ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ栄えさせてください。主(ヤハウェ)の御名によって来る人に祝福があるように」と記されます。

ここで「どうぞ救ってください」ということばはヘブル語で「ホシアナ」と記され、それがアラム語化して「ホサナ」という叫びになったのだと思われます。ただ、イエスの時代にはこのことばは、神の栄光をたたえる賛美の感嘆詞のようにも用いられていたようです。

不思議なのは、これをイエスに向かって叫びながら、イエスを「主の御名によって来られる方」としてたたえていることです。これは、イエスを期待された救い主として認めたという意味です。

 

ルカではこれと並行して、「するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください』」(19:39)と言ったと記しています。パリサイ人たちの目には、人々が神の代わりに人間をあがめていると思われたからです。

世の人々は、イエスを最高の道徳教師であるかのように見ていますが、もしそれが事実なら、パリサイ人の言うとおり、イエスはこのような賛美を止めさせるべきでした。

ところがイエスはここで、「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(19:40)と答えました。イエスはご自分こそが、「主の御名によって来られる王」であると主張されたのです。

イエスは、決して、謙遜な道徳教師の枠に納まる方ではありません。イエスはここで、ご自身の身をもって、聖書の預言を成就しようとされたのです。

 

3.「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に」

そればかりか、彼らは「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に」と叫んだと、マルコは記録しています。これは、イエスによって新しいダビデ王国が実現したという途方もない宣言です。

それは、ユダ・マカベオスが神殿をきよめ、その後、約百年間続くユダヤ人の独立国家を建てたことを思い起こさせる表現です。

当時の人々はイエスをそのようなにローマ帝国の支配からの解放者として受け止めたことでしょう。

 

預言書を概観するなら、これがどれだけ画期的な意味を持つかが分かります。イエスの時代の人々は、ヘロデが大拡張工事をした壮麗な神殿が、ソロモンの時のように、神の栄光の雲に包まれることを確かに期待していた面がありました。

ヘロデは自分をイスラエルの救い主として見せるために、神殿に莫大なお金をつぎ込みました。しかし、人々はヘロデの支配に心から失望し、真の「神の国」の実現を待ち望んでいました。

そして今、イエスがエルサレムに預言された王として入城するとは、この「神の栄光」がエルサレムに戻ってくることを意味しました。

 

主はかつて御使いを通して預言者エゼキエルに終わりの日にエルサレム神殿に起こる幻を、「イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた・・主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってきた」と描いています(43:2-4)。

これこそ旧約の預言者たちが待ち焦がれていた喜びの時でした。多くの人々は見過ごしていますが、これこそ「神の国」の幕開けのしるしだったのです。

 

ところがこの福音書では、イエスが神殿に入られたことがエゼキエルの預言を成就することであることを隠すように、あまりにもあっけなく、「こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた」(11:11)と描かれます。

当時の人々にとっても、これはあまりにも物足りないことだったのではないでしょうか。しかし、イエスが神殿の中の「すべてを見て回った」ときに、何を思われたことでしょう。それは、翌日に宮の中で売り買いしている人を追い出すという宮清めのわざにつながります。

イエスは、神殿が見かけだけのものになっていることに心を痛められたと思われます。

 

モーセが神の幕屋を建てたときも、ソロモンが神殿を建てたときも、栄光の雲がその宮を覆い、祭司たちばかりかモーセでさえも近づくことができなくなりました。

イエスがご自身の父の家に入られたときの様子は、それに比べ、あまりにもあっけないものです。しかし、それこそ、預言者たちが憧れていた画期的な時代の始まりでした。

 

使徒パウロは、イエスによる救いを宣べ伝えることの祝福を、「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:15)と記しますが、それはイザヤ52章7節のみことばの引用でした。

そこでは、「その足は、平和を聴かせ、幸いな福音を伝え、『あなたの神が王となる』とシオンに告げる救いを聴かせる」(私訳)と解説されています。

そして、そのとき人々が共に喜ぶ理由が、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られるのをまのあたりに見るからだ」と説明されます。ただ、その上で、主がシオンに帰られるときの様子が、イザヤ52章13節から53章12節の「主のしもべの歌」として記されます。

つまり、イザヤの預言においては、「あなたの神が王となる」、また「主がシオンに帰られる」という世界の歴史を変える画期的な出来事が、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、苦しみの人で病を知っていた」(53:3)という、あまりにも意表をつく「主のしもべの姿」によって現されると預言されていたのです。

 

イエスのエルサレム入城は、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られる」という預言の成就でした。しかし、それは人々の意標をつく姿によってでした。人々はイエスを、独立王国を立てるダビデの子として、神殿の解放者ユダ・マカベオスの再来として迎えました。

しかし、イエスはご自分を、ゼカリヤが預言した柔和な王として示しましたが、彼らの期待するような行動は何もしませんでした。

イエスはエルサレムにも神殿にも、何の変化ももたらしてはいないように見えました。しかし、主はこのとき、彼らの期待とは異なる「神の国」を示しておられたのではないでしょうか。

 

預言者イザヤは、主のことばが歴史を完成に導く姿を、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ・・・パンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる」(55:10,11)と記します。

そして、私たちの救いが完成に導かれる様子が、「まことにあなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く」(55:12)と描かれます。

私たちは今、サタンの支配から解放されて「新しいエルサレム」に向かって旅をしています。そのときの希望が、「山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」(55:12,13)と描かれます。

「いばら」は人を傷つける役に立たない木の代名詞ですが、「もみの木」とは「糸杉」とも訳され、神殿建設にも用いられた高価な木材です。「おどろ」もとげのある雑草ですが、「ミルトス」とはその果実には鎮痛作用があり、祝いの木とも言われます。

これは、「のろい」の時代が過ぎ去り、「祝福」の時代が来ることを象徴的に描いた表現です。そしてそのような自然界の変化こそ、「主(ヤハウェ)の記念となり、絶えることのない永遠のしるし」となります。

 

これこそ、「新しい天と新しい地」の象徴的な表現です。残念ながら、多くの人は、これらのみことばの深みを十分に味わうことができていないように思います。

私たちの「救い」は全被造物の救いにつながり、アダムの罪によってのろわれた地が、神の祝福に満たされた世界へと変えられるのです。

私たちの希望は、私と身近な人が天国に入れられるという個人的な救いばかりではなく、全世界が神の平和に満たされるという希望です(ローマ8:19,21)。

 

神はこの世界をご自身の神殿として、ご自身の栄光を現す場として創造されました。そして人間こそ、そこにおけるかけがえのない「神のかたち(イメージ)」です。

目に見える建物以前に、私たちの交わり自体が今、神の神殿とされています。そして、この神殿は、栄光に満ちた完成へと向かっています。

イエスこそ真の神のイメージであり、私たちの王です。イエスはご自分が「ダビデの子」、「救い主」であることを、エルサレム入城の際に明確に示されました。ただ、それはこの世の戦いの指導者ではなく、イザヤが預言した「主(ヤハウェ)のしもべ」としての姿でした。

 

この世界には、被造物の「うめき」が満ちています。世界は変えられる必要があります。そのためには権力を握ることが大切かもしれません。

しかし、偉大な理想を掲げたはずの人が、かえってこの世に争いと混乱を広げてきたというのが人類の歴史ではないでしょうか。力は力の反動を生みます。

「神の国」は、神の御子がしもべの姿となることによって始まったことを忘れてはなりません。あなたの隣人にどう接するかが何よりも問われているのです。今日は聖書全体を概観しながら特にイザヤ52-55章との関連でイエスのエルサレム入城のことを語りました。お読みいただければ幸いです。

2012年6月24日

今から百年余り前にフランスの画家ポール・ゴーギャンは、『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』という長いタイトルの大きな絵を描きます。

私たちの人生には様々な予測不能なことが起きますが、これを理解しているとき、目の前の様々な問題を、もっと余裕をもって見ることができるようになるのではないでしょうか。その意味で、聖書の始まりと終わりという大枠をとらえることは、何よりも大切なことです。

 

人間の歴史はエデンの園から始まります。それは、神の祝福に満ちた神殿でもありました。人はそこに、「神のかたち(image of God)」として創造され、その園を管理する者として置かれました。この世の神殿には神々のイメージが飾られますが、エデンにおいて神のイメージを現すのは、何と、人間自身だったのです。

そしてエデンの園における礼拝の中心は、「善悪の知識の木」だったかもしれません。それは、神こそが善悪の基準であることを示すシンボルでした。人は、そこで神のあわれみに満ちたことばと、超えてはならない限界を示すみことばを聞きました。

しかし、人は、その限界を超え、自分自身を善悪の基準とし、自分を神としてしまい、エデンの園から追い出されました。つまり、人類の歴史の悲惨は、最初の人間が、神の宮から追い出されたことから始まったのです。

 

その後、神はご自身の側からアブラハムを選び、神の民を創造し、彼らの真ん中に住むと約束されました。神はアブラハムの子孫をエジプトで増え広がらせた後、そこから約束の地へと導かれました。

その際、神はご自身が彼らの真ん中に住むしるしとして、「幕屋」を建てさせました。神は、人間と同じレベルにまで降りて来られ、地上の幕屋から人間に語りかけてくださいました。それはカナンの地をエデンの園のような祝福の世界にするためでした。

 

ところが、イスラエルの民は何度も神に逆らいました。それでも神は彼らをあわれみ、神の前に謙遜なダビデを王として立て、目に見える神の国を築き、その中心に、ダビデの子のソロモンを通して壮麗な神殿を立てさせました。宮が完成した時の様子が、「雲が主(ヤハウェ)の宮に満ち・・・祭司たちは・・そこに立って仕えることができなかった。主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちたからである」と描かれていました(Ⅰ列王8:10,11)。それは神が彼らの真ん中に住んでくださったというしるしでした。

ところがイスラエルの民はその後も、神に逆らい続けました。それで、神はついに、ご自身の神殿から立ち去ってしまわれました。そして、神殿はただの石の家になりました。その結果、エルサレムの町も神殿もバビロン軍によって廃墟とされました。その後、神の臨在のしるしであった「契約の箱」の行方すら分からなくなりました。

その後、ペルシャの王クロスの勅令によって、エルサレム神殿は再建されますが、この第二神殿はその後、一度も、神の栄光に包まれるということはありませんでした。

 

そのため、当時のユダヤ人たちは、ソロモンの神殿のときのように、この宮に神の栄光が戻ってくることを待ち望んでいました。そのような中で、イエスは「ダビデの子」としてそこに入って来られました。それは神の栄光が神殿に戻ってきたしるしでした。

そして今、私たちの救いが完成するのは、「新しいエルサレムが・・天から下って来る」ときですが、そこで実現する情景が、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである」(黙示21:3,4)と描かれます。

私たちは最初の神殿である「エデンの園」と、来るべき神殿である「新しいエルサレム」の間に、「神のかたち」として置かれ、様々な悲しみや苦しみの中にありながら、神の宮としての信仰共同体を今、形成しているのです。

 

1.『主がお入用なのです。すぐにまたここに送り返されます』と言いなさい

10章ではイエスがエリコを通られたとき、道端に座っていた盲人バルテマイが、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けた様子が描かれていました。

彼がイエスを「ダビデの子」と呼んだのは不思議なことです。イエスは彼の目を見えるようにした上で、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言って、彼の信仰を称賛しました。それから、バルテマイは道の真ん中を歩いて、イエスに従ってエルサレム上って行きました。

 

ちなみにエリコはヨルダン渓谷の低地にあり、世界で最も低地の町と言われます。そこは約海抜マイナス240mですが、そこから標高800mのエルサレムまで、標高差一千メートルを一気に上がることになります。巡礼に来る人は、オリーブ山から見下ろすエルサレム神殿の輝きに深い感動を覚えます。

イエスの時代、ヘロデが大拡張工事をした神殿が、世界の奇跡として立っていました。しかし、当時の人々はみな知っていました。そこには神殿の心臓である「契約の箱」が存在せず、その宮は一度も神の栄光の雲に包まれたことがないことを・・・。

 

そして、今、イエスと弟子たちがエルサレムを訪ねている季節は、春の過ぎ越しの時でした。これはイスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地に向かっての一歩を踏み出したことを記念する祭りでした。ユダヤ人たちはこの祭りの時には、全世界からエルサレムに上り、祭りを祝いつつ、神の救い、神の国の実現を待ち望んでいました。

それは、神が自分たちの真ん中に住んでくださるときでした。イエスの弟子たちも、エリコからエルサレムに向かって、登山のような歩みをしながら、神の国の実現への期待に胸を躍らせていたことでしょう。

 

11章初めでは「さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき」と記されますが、オリーブ山はエルサレムのすぐ東にある標高817mの山で、このふたつの村はその南から東麓にあった村です。

ここからエルサレムは目と鼻の先ですが、ここにきてイエスは不思議な行動を取ります。

 

そこで、「イエスはふたりの弟子を使いに出して」、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい」と言われました。まるでイエスには透視能力があるかのようですが、これはご自分のエルサレム入城を、預言の成就として、劇的に演出するためだったと思われます。

ゼカリヤ9章では、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(9節)と記されているからです。軍馬ではなく、戦いを止めさせることの象徴として、ろばの子に乗って、人々の歓呼の中を入城するというのがその預言の中心的な意味です。

 

そればかりか、イエスは、「もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい」と弟子たちが直面する質問とそれに対する返答の仕方まで指示されました。

そして、その後のことが、「そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた」と描かれます(11:4)。これはまさに、すべてのことがイエスの言われた通りに進んでゆくことを示したものです。

ただ、これはイエスの神としての超能力という以前に、彼が預言者のことばを心から深く味わい、それを実現することにご自分の使命を確信し、それに従って父なる神に祈られ、その答えをいただくことができたことの結果と言えましょう。ここに、父なる神と御子イエスとの共同演出の成果が見られます。

 

そして、その後のことが「すると、そこに立っていた何人かが」、「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか」と言い、「弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた」と描かれています(11:5,6)。弟子たちは、そこで「主がお入用なのです・・」と言ったのですが、これは村人たちもイエスのことを既に知っており、その権威に服したという意味です。

この描写は驚くほど簡潔ですが、それによって、イエスの「王としての権威」が強調されます。イスラエルの栄光の王ダビデが自分の部下を用いてこれを行ったとしたら、誰も驚きはしません。「ダビデ王がお入用なのです」と言われて断ることができる国民などはいないからです。

今、イエスは、待ちに待ったダビデの子としてエレサレムに入城するのです。これぐらいのことが起こるのは当然のことと言えましょう。

 

イエスは、今も私たちが大切にしているものを用いてくださるために、全世界の王としてその弟子を遣わし、「主がお入り用なのです」と言わせることがあります。「ろばの子」を差し出した村人がそれを躊躇なく承諾したのは、「すぐにまたここに送り返されます」ということばに信頼したからではないでしょうか。

私たちの教会も今、一時的に、「ろばの子」の代わりに、教会債として信者の方々の大切なお金を、お貸しいただくことを願っています。しかし、それは「送り返される」ものです。一時的に、主のご入用のために用いられることは非常に名誉なことです。

 

2.「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」

その後のことが、「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた」と描かれます(11:7)。イエスはまさにご自分がゼカリヤの預言を成就するという自覚を持って、王として行動しておられます。

イエスはこの四日後、「祭司長、律法学者、長老たちから指し向けられた」人々に捕えられ(14:43-46)、ユダヤ人の最高議会で死刑に定められ、ローマ帝国の総督に引き渡され、その翌日の金曜日には十字架にかけられて殺されます。人間的には、そこではイエスの無力な姿が描かれているように思えますが、イエスはそのすべての始まりのエルサレム入城をご自分で正確に把握し、演出しておられたのです。

 

そして、イエスがろばの子に載ってエルサレムに入城されると、「多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」(11:8)と描かれます。

当時の人々は上着を何枚も持ってはいません。それをイエスがろばに乗って進む道の前に惜しげもなく敷いたというのです。これは、まさに、人々がイエスを待望の王、「ダビデの子」として認めたというしるしです。

Ⅱ列王記9章13節では、アハブの家を滅ぼすために神がエフーを王として立てたということを認めた者たちは、「大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入り口の階段の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、『エフーは王である』と言った」と記されています。新しい王を迎えるとき、家来たちは我先にと自分の上着を敷物として差し出して臣従を誓うのが慣わしでした。

 

また、「ほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」とは、神殿の解放者を迎える姿勢です。

この約200年前に、シリヤ全域を支配したギリシャ人の王アンテイオコス・エピファネスがエルサレム神殿にゼウスの像を置き、祭壇に豚のいけにえをささげさせて神殿を汚したとき、ユダ・マカベオスに導かれたユダヤ人が、ゲリラ戦によって奇跡的な勝利を収め、神殿をきよめました。

そのとき人々は、「テュルソスと青葉の小枝と、しゅろの葉をかざして、ご自分の場所の清めを成功させた方に賛歌をささげた」(Ⅱマカバイ10:7)とありますが、当時の人々はイエスがユダ・マカベオスのような軍事指導者であることを期待して、このように迎えたのです。

 

そしてそこでは、「前を行く者も、あとに従う者も」、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びました(11:9)。それは詩篇118篇25、26節に基づいています。

そこでは、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ救ってください。ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ栄えさせてください。主(ヤハウェ)の御名によって来る人に祝福があるように」と記されます。

ここで「どうぞ救ってください」ということばはヘブル語で「ホシアナ」と記され、それがアラム語化して「ホサナ」という叫びになったのだと思われます。ただ、イエスの時代にはこのことばは、神の栄光をたたえる賛美の感嘆詞のようにも用いられていたようです。

不思議なのは、これをイエスに向かって叫びながら、イエスを「主の御名によって来られる方」としてたたえていることです。これは、イエスを期待された救い主として認めたという意味です。

 

ルカではこれと並行して、「するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください』」(19:39)と言ったと記しています。パリサイ人たちの目には、人々が神の代わりに人間をあがめていると思われたからです。

世の人々は、イエスを最高の道徳教師であるかのように見ていますが、もしそれが事実なら、パリサイ人の言うとおり、イエスはこのような賛美を止めさせるべきでした。

ところがイエスはここで、「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(19:40)と答えました。イエスはご自分こそが、「主の御名によって来られる王」であると主張されたのです。

イエスは、決して、謙遜な道徳教師の枠に納まる方ではありません。イエスはここで、ご自身の身をもって、聖書の預言を成就しようとされたのです。

 

3.「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に」

そればかりか、彼らは「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に」と叫んだと、マルコは記録しています。これは、イエスによって新しいダビデ王国が実現したという途方もない宣言です。

それは、ユダ・マカベオスが神殿をきよめ、その後、約百年間続くユダヤ人の独立国家を建てたことを思い起こさせる表現です。

当時の人々はイエスをそのようなにローマ帝国の支配からの解放者として受け止めたことでしょう。

 

預言書を概観するなら、これがどれだけ画期的な意味を持つかが分かります。イエスの時代の人々は、ヘロデが大拡張工事をした壮麗な神殿が、ソロモンの時のように、神の栄光の雲に包まれることを確かに期待していた面がありました。

ヘロデは自分をイスラエルの救い主として見せるために、神殿に莫大なお金をつぎ込みました。しかし、人々はヘロデの支配に心から失望し、真の「神の国」の実現を待ち望んでいました。

そして今、イエスがエルサレムに預言された王として入城するとは、この「神の栄光」がエルサレムに戻ってくることを意味しました。

 

主はかつて御使いを通して預言者エゼキエルに終わりの日にエルサレム神殿に起こる幻を、「イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた・・主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってきた」と描いています(43:2-4)。

これこそ旧約の預言者たちが待ち焦がれていた喜びの時でした。多くの人々は見過ごしていますが、これこそ「神の国」の幕開けのしるしだったのです。

 

ところがこの福音書では、イエスが神殿に入られたことがエゼキエルの預言を成就することであることを隠すように、あまりにもあっけなく、「こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた」(11:11)と描かれます。

当時の人々にとっても、これはあまりにも物足りないことだったのではないでしょうか。しかし、イエスが神殿の中の「すべてを見て回った」ときに、何を思われたことでしょう。それは、翌日に宮の中で売り買いしている人を追い出すという宮清めのわざにつながります。

イエスは、神殿が見かけだけのものになっていることに心を痛められたと思われます。

 

モーセが神の幕屋を建てたときも、ソロモンが神殿を建てたときも、栄光の雲がその宮を覆い、祭司たちばかりかモーセでさえも近づくことができなくなりました。

イエスがご自身の父の家に入られたときの様子は、それに比べ、あまりにもあっけないものです。しかし、それこそ、預言者たちが憧れていた画期的な時代の始まりでした。

 

使徒パウロは、イエスによる救いを宣べ伝えることの祝福を、「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:15)と記しますが、それはイザヤ52章7節のみことばの引用でした。

そこでは、「その足は、平和を聴かせ、幸いな福音を伝え、『あなたの神が王となる』とシオンに告げる救いを聴かせる」(私訳)と解説されています。

そして、そのとき人々が共に喜ぶ理由が、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られるのをまのあたりに見るからだ」と説明されます。ただ、その上で、主がシオンに帰られるときの様子が、イザヤ52章13節から53章12節の「主のしもべの歌」として記されます。

つまり、イザヤの預言においては、「あなたの神が王となる」、また「主がシオンに帰られる」という世界の歴史を変える画期的な出来事が、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、苦しみの人で病を知っていた」(53:3)という、あまりにも意表をつく「主のしもべの姿」によって現されると預言されていたのです。

 

イエスのエルサレム入城は、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られる」という預言の成就でした。しかし、それは人々の意標をつく姿によってでした。人々はイエスを、独立王国を立てるダビデの子として、神殿の解放者ユダ・マカベオスの再来として迎えました。

しかし、イエスはご自分を、ゼカリヤが預言した柔和な王として示しましたが、彼らの期待するような行動は何もしませんでした。

イエスはエルサレムにも神殿にも、何の変化ももたらしてはいないように見えました。しかし、主はこのとき、彼らの期待とは異なる「神の国」を示しておられたのではないでしょうか。

 

預言者イザヤは、主のことばが歴史を完成に導く姿を、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ・・・パンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる」(55:10,11)と記します。

そして、私たちの救いが完成に導かれる様子が、「まことにあなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く」(55:12)と描かれます。

私たちは今、サタンの支配から解放されて「新しいエルサレム」に向かって旅をしています。そのときの希望が、「山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」(55:12,13)と描かれます。

「いばら」は人を傷つける役に立たない木の代名詞ですが、「もみの木」とは「糸杉」とも訳され、神殿建設にも用いられた高価な木材です。「おどろ」もとげのある雑草ですが、「ミルトス」とはその果実には鎮痛作用があり、祝いの木とも言われます。

これは、「のろい」の時代が過ぎ去り、「祝福」の時代が来ることを象徴的に描いた表現です。そしてそのような自然界の変化こそ、「主(ヤハウェ)の記念となり、絶えることのない永遠のしるし」となります。

 

これこそ、「新しい天と新しい地」の象徴的な表現です。残念ながら、多くの人は、これらのみことばの深みを十分に味わうことができていないように思います。

私たちの「救い」は全被造物の救いにつながり、アダムの罪によってのろわれた地が、神の祝福に満たされた世界へと変えられるのです。

私たちの希望は、私と身近な人が天国に入れられるという個人的な救いばかりではなく、全世界が神の平和に満たされるという希望です(ローマ8:19,21)。

 

神はこの世界をご自身の神殿として、ご自身の栄光を現す場として創造されました。そして人間こそ、そこにおけるかけがえのない「神のかたち(イメージ)」です。

目に見える建物以前に、私たちの交わり自体が今、神の神殿とされています。そして、この神殿は、栄光に満ちた完成へと向かっています。

イエスこそ真の神のイメージであり、私たちの王です。イエスはご自分が「ダビデの子」、「救い主」であることを、エルサレム入城の際に明確に示されました。ただ、それはこの世の戦いの指導者ではなく、イザヤが預言した「主(ヤハウェ)のしもべ」としての姿でした。

 

この世界には、被造物の「うめき」が満ちています。世界は変えられる必要があります。そのためには権力を握ることが大切かもしれません。

しかし、偉大な理想を掲げたはずの人が、かえってこの世に争いと混乱を広げてきたというのが人類の歴史ではないでしょうか。力は力の反動を生みます。

「神の国」は、神の御子がしもべの姿となることによって始まったことを忘れてはなりません。あなたの隣人にどう接するかが何よりも問われているのです。

2012年1月6日 高橋秀典 立川福音自由教会牧師

イスラエルの民が繰り返し思い越すように命じられたのは出エジプトの出来事、神が彼らをエジプトの国、奴隷の家から連れ出してくださったことで、それこそ旧約聖書の中心テーマです。過越の祭りはそのためにありました。

クリスチャンが思い起こすことはキリストの十字架の贖いです。それこそ新約聖書の中心テーマです。聖餐式はそのためにあります。

そして旧、新約を貫くテーマとは「契約」です。なぜなら、そこに共通する「約」ということばは「契約」のことだからです。そして聖餐式こそ、その転換点でした。旧約と新約には連続性と非連続性があります。

使徒パウロはその違いを、「文字は殺し、御霊は生かす」と表現しました(Ⅱコリント3:6)。旧約の基本は、神が良い教えを人間に与えることによって人を変えようとしたという点にあり、新約の基本は、良い教えを実行できない人にそれを行う力を与えるという点にあります。

私たちは小さいころから、「こうしたらいいよ・・・」という教えを数限りなく受けてきています。それは本当に私たちに役立ちます。しかし、徐々に、「あなたは何度言ったらわかるの!まるで鶏と同じじゃない・・・」と言われるようになります。

イエスはそんな社会の落ちこぼれをご自分の弟子の中心に据えました。なぜなら新約とは、良い教えを実行できない者を内側から作り変えることにあるからです。まさに聖餐式こそは「新しい契約」(新約)の始まりです。あなたはそれを理解しながら聖餐式にあずかっておられるでしょうか。

1.「弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる」

14章12節では、「種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に」という記述があります。これは、イエスが十字架にかけられる前日、木曜日のことです。この日、人々はエルサレム神殿で過越しのいけにえをささげ、その夜に、過越しの食事をすることになっていました。ですから、遠方からの巡礼者にとって、過越しの食事にあずかるための場所の確保は非常に困難だったことでしょう。

そのような中で弟子たちはイエスに、「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか」と尋ねました。そこで、イエスは、弟子のうちふたり(ルカ22章8節によると、ペテロとヨハネ)を送って、「都に入りなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい」と言われました(14:13)。普通、水がめを運ぶのは女の仕事ですから、その人はすぐに見つかったことでしょう。

それはイエスが、事前に打ち合わせし、依頼をしていたと考えて良いかと思われます。なぜなら、弟子たちがその家の主人に、「弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる」と言いなさいということに対して、「するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます」と席の用意が既になされていると述べられているからです(14:14、15)。

イエスはそれを前提に、「そこでわたしたちのために用意をしなさい」と言われました。そして、その結果が、「弟子たちが出かけて行って、都に入ると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした」という展開になっています(14:16)。肝心のことをイエスご自身が既に用意されたのです。

それにしても、イエスはなぜ、「どこどこの家で・・」と直接的に言われなかったのでしょう?私は最初、これはイエスの予知能力を示し、ご自分が十字架への道をすべて支配しておられることを示していると理解していましたが、今は、ここに、イエスの気遣いが見えてきました。

イエスが事前に具体的な場所を述べてしまうなら、それはユダを通して宗教指導者たちに知られ、この最後の晩餐の場が襲われたことでしょう。イエスはご自分が翌日には、十字架にかけられるということを知っておられましたが、それにも関わらず、また、それを知っておられるからこそ、この過越しの食事を、弟子たちにとっての最高の思い出のときになるように、あらゆる気配りをしておられたのです。

ルカの並行記事によるとイエスは、「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか」と言われました(22:14、15)。「どんなに望んでいたことか」とは原文で、「切望し切望する」という言葉の重複で記され、この食事に対するイエスの思い入れが明らかにされます。

それはイスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放されたことを祝うための食事でした。最初の過越のとき、イスラエルの民は、家族ごとに子羊一頭をほふり、その血を家の二本の門柱とかもいにつけ、その夜、その肉を火で焼いて家族でそろって食べ、旅の支度をしました。

真夜中に、主(ヤハウェ)は、エジプトのすべての初子を打ち殺しましたが、血を塗っている家は過ぎ越されました。それは神の怒りが過ぎ越すという意味がありました。そして今、私たちの前を、神の怒りが過ぎ越します。それによって、私たちは罪の奴隷状態から解放されます。

2.「人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかった」

17節では、「夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。そして、みなが席に着いて、食事をしているとき」と描かれますが、それは、一年で最も大切な過越しの食事の最中です。

そのようなときに、イエスは、「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります」と驚くべきことを言われました(14:18)。それに対し、「弟子たちは悲しくなって、『まさか私ではないでしょう』とかわるがわるイエスに言いだした」と描かれます(14:19)。

それでイエスは、「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに鉢に浸している者です」(14:20)と言いますが、これは裏切り者をみんなの前であらわにするというよりは、「そのように親しい関係にある者が」という意味です。

福音記者ヨハネは不思議にも、これは詩篇41篇9節のダビデの告白、「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとをあげた」ということの成就であると記します(13:18)。そして、ダビデの詩篇には、そのような親しい友の裏切りを嘆く祈りが何度も出てきます(55:20など)。

そればかりか、ダビデ自身も自分を信頼していたウリヤを裏切り、騙し討ちにしています。つまり、信頼している人から裏切られるというのは、残念ながら、誰にでも起こりえることであり、また自分もそのような行動をとりかねないということなのです。

私たちは、ユダの裏切りの理由を考える以前に、神の御子は人が体験する最悪の痛みをすべて体験してくださったということを受け止めるべきでしょう。信頼していた人に裏切られるようなことがあるとき、裏切られた自分の側に甘さがあったとか、人を見る目がなかったなどと反省することも必要かもしれませんが、それ以前に、それはイエスご自身も体験された苦しみであるということの方に目を向けるべきです。

聖書はユダの裏切りの原因を分析しないことによって、これが誰にでも起こりえることであると示唆しているのではないでしょうか。

その上で、イエスは、「確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです」と言われました(14:21)。これは、ユダに最後の悔い改めの機会を与えるという意味があったのだと思われます。

もし彼がここで、自分の罪を認めることができていたら、自殺する必要も、地獄に落ちることもなかったはずです。

あるご老人は以前、「年を経るにつれて身軽になってきた・・」と言っておられました。それは、自分の期待通りに物事が進まないことを受け入れていった結果です。しかし、ユダの心は、イエスご自身を求めていたのではなく、イエスがもたらしてくれる富、力、栄誉などに目が向かっていました。

あなたが誰かから愛されていると思う時、あなたは、自分自身が愛されているか、それともあなたが持っている何かを愛しているかを敏感に察知するのではないでしょうか。それなのに、あなたは、自分の中にあるユダの心には鈍感になってはいないでしょうか?

3.「取りなさい。これはわたしのからだです」

そして、最後の晩餐の様子が、「それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて」、「取りなさい。これはわたしのからだです」と言われたと記されます(14:22)。これは、過越の食事をまったく新しくすることばを述べます。これこそ現在の聖餐式で繰り返されていることばです。

この際、主はパンを手で掲げて祝福を祈り、ご自分の手で裂いてひとつひとつ弟子たちに分けてくださったのだと思われます。

その意味を後にパウロは、「私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンはひとつですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです」(Ⅰコリント10:16,17)と説明します。

そして、ルカの並行記事によると、イエスはパンを与えながら、「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい」と言われました(22:19)。

主は、目に見えるパンを示しながら、「これはわたしのからだです」と確かに言われました。後の時代の人々はその意味を様々に解釈しました。

カトリック教会では、目に見えるパンはキリストの聖なる身体に変化したと解釈し、パンをご聖体と呼び偶像のように扱うようになりました。一方、私たち自由教会の父祖などは反対の極端に走り、パンは単なるシンボルに過ぎないからスーパーで買った食パンをナイフで切って与えても同じであると解釈しました。

しかし、私たちの教会では、できるかぎりイエスの最初の聖餐式を思い起こさせるパンを用いながら、イエスのことばに解釈を加えずに、そのまま素朴に味わう形を守りたいと願っています。

私たちはその尊い犠牲とされたキリストの身体をこの汚れた口から入れさせていただくのです。それは、私たちが聖なるキリストと一体とされることを意味します。

私たちはパンをいただきながら、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなくキリストが私のうちに生きているのです」(ガラテヤ2:20)と告白することが許されています。

4.「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」

23節では、イエスが「また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ」と描かれ、その際のことばが、「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」と言われたと記されます(24節)。

これは、モーセがシナイ山のふもとに作った祭壇で、契約の書を民に読んで聞かせた後、ほふられた雄牛の血をとって民に注ぎかけ、「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主(ヤハウェ)があなたがたと結ばれる契約の血である」(出エジプト24:8)と言われたことを思い起こさせる表現です。

ルカ22章20節では、主は、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」と言われたと記され、その文章の基本は、「この杯は、新しい契約です」からなっていますから、杯とともに覚えるべきことは、何よりも「新しい契約」です。

しばしば、「あなたがたのために流されるわたしの血による」と説明された部分ばかりが一人歩きし、キリストの犠牲に習う生き方ばかりが強調される場合がありますが、原文では、「契約」の有効性を保障するためにこそキリストの血が描かれています。

ですから何よりも、「新しい契約」の意味を思い巡らすことが大切です。それは、イエスが私たちに聖霊を与え、私たちを内側からイエスに似た者になるように造り変え、新しい身体に復活させ、新しいエルサレムの祝宴にあずからせてくださるというすべてのプロセスを指す約束です。つまり、この杯を受けるたびに、信仰を全うさせてくださるのはイエスのみわざであるということを覚えるのです。

つまり、イエスは、この最後の晩餐で、古い契約(旧約)に対する「新しい契約」をご自身の弟子たちと結んでくださったのです。私たちは聖餐式のたびに、キリストがご自身の血を流しながら、「古い契約」を「新しい契約」に変えてくださったことを思い起こすのです。

ヘブル書の著者は、「もし・・雄牛の血・・を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけでキリストは新しい契約の仲介者です」(9:13-15)と記しています。

ギリシャ語ではこの「契約」と「遺言」は同じ言葉で表されます。英語(ドイツ語)でもたとえば新約聖書をThe New Testamentと呼び、そこには契約と遺言の両方の意味があります。

宗教改革者ルターは、「契約(遺言)とは、それぞれの約束のことではなく、死に行く者の最後の、訂正不能の意志であり、それによって彼の財産が、彼が相続させたい者に委譲される」と語り、主の最後の約束を思い起こすことが聖餐式の中心であるべきだと主張しました。

また彼は、イエスがパンと杯の両方を分ける際に、「わたしを覚えて、これを行いなさい」(Ⅰコリント11:24,25)と言われたことの意味を、イエスは私たちに、「人よ、この約束を見なさい。このことばによって、わたしはあなたに、あなたのすべての罪の赦しと永遠のいのちを約束し、分け与える」と言っておられることにあると解説しています。

5.「神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません」

そして、25節ではイエスは最後に、「まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません」と言われたと記されます。

これは「新しい天と新しい地」、または「新しいエルサレム」での「小羊の婚姻」の祝宴が実現するときを指します(黙示録19,20章)。

これは断酒の宣言でも、翌日の十字架での死に方の予告でもなく、イエスが私たちすべての弟子たちを天の御国の祝宴に招き、みながそろうのを待ち焦がれているという気持ちを表したものです。私たちは、一緒によみがえって、一緒に祝宴にあずかるのです。先に天に召された人も、その日までは「ぶどうの実で造ったもの」を飲むことなく待っています。

先に天に召された愛する人が、一緒によみがえる日を待ち焦がれています。そして、その時が必ず来ることを保証するのがこの契約の杯です。イエスがあなたの目に見える花婿になる時、それは、失った愛する人、尊敬する人に出会う時でもあります。天の祝宴の影が今ここにあります。

このイエスの最後の晩餐は、天の御国における小羊の婚姻の祝宴と直結しています。私たちはこの聖餐式のたびごとに、「新しい契約」の始まりと、「契約の完成」というふたつの時を記念するように招かれているのです。

パウロは、ピリピの教会に向けて、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成してくださることを私は堅く信じているのです」(ピリピ1:6)と言いましたが、私たちはこの聖餐式のたびに、自分の罪に嘆き、信仰の弱さを思い起こしながらも、主ご自身が私たちの信仰を完成してくださるということを堅く信じることができます。イエスは聖餐式を通して、信仰の弱い者の信仰を励ましてくださるのです。

その際、「私たちの過越の小羊キリストがすでにほふられた」(Ⅰコリント5:7)とあるように、イエスはご自身のからだをいけにえとしながら、過越の祭りに新しい意味を与えてくださいました。

パウロは私たちの救いを、「あなたがたは・・・この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました」というサタンの奴隷からの解放、また「私たちもみな、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」という滅びからの解放として描きます(エペソ2:1-3)。つまり、私たちも裏切り者ユダの仲間だったのです。

しかし、イエスのみからだと流された血が、「世の罪を取り除く神の小羊」としての新しい過越のいけにえとなってくださいました。私たちはその救いの御業を、目に見えるパンと杯を越えた現実を霊の目で見て、味わうのです。

今、キリストご自身が、私のからだを養うパンとして入って来て下さいます。また、キリストご自身の血が、くじけやすい私の心を慰め励まし、罪の赦しの確信を生み出してくださいます。

私たちはこのパンと杯を受けながら、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である」(Ⅱテモテ2:13)ことを味わうのです。

6.「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」

ユダはイエスを裏切るという決心を固めた上でこの聖餐式にあずかり、イエスの恵みを徹底的に軽蔑し、自滅してしまいました。恵みの機会が滅びの機会となってしまったのです。

後にパウロはこのユダの悲劇を思いながら、「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」(Ⅰコリント11:29)と言ったのかもしれません。

なおこれは、自分の罪深さに嘆き、良心の呵責に悩む人を退けることばでは決してありません。事実、パウロはこの直後に、「しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません」(同11:31)と言っています。これを結びつけると、聖餐式にあずかることができる条件が見えてきます。

聖餐式にあずかる人は、何よりも、このパンと杯が、単なる普通の食事ではなく、キリストがご自身を十字架で犠牲とされたみからだと血をあらわすものであるということを信じている必要があります。それは十字架の福音の核心を受け入れているという意味です。

それと同時に、イエスが十字架にかかられたのは、自分の罪のためであると認めている必要があります。多くの人は、自分を一方的な被害者にまつりあげることで天才的であり、「私は悪くはなく、相手が悪い・・」と思い込んでいます。しかし、そのような気持ちのままこの聖餐式にあずかってはなりません。私たちは人の痛みをいつも自分の尺度でばかりはかり、本当の意味で人に共感することができません。しかし、それが行過ぎるとユダの心になります。

ですからこの聖餐式にあずかるときは、自分にもユダの心があることを認めながら、同時に、ユダのようにイエスの恵みを軽蔑するなら救われないという恐れをもって臨む必要があります。

私たちが幼児や子供にこの聖餐式にあずかっていただくのをご遠慮いただいているのは、彼らがまだ自分の罪深さを反省する能力が十分に育っていないと思うからです。イエスの十字架による罪の赦しの大きさを感動しつつ、この聖餐式にあずかることができるときを期待するからこそ、その機会を遅らせるのです。それは、聖餐式のありがたさをわきまえるようになってからあずかってほしいという意味です。

それからすると、大人の方でも、この聖餐式のありがたさをわきまえておられないなら、それがわかるまで待っていただきたいということになります。

聖餐式こそ初代教会以来の礼拝の中心でした。ただその中で、人々は聖餐式のパン自体に神秘的な力を求め、みことばを軽視するようになりました。宗教改革はみことばの朗読こそ礼拝の中心であるというところから始まっています。

しかし、それが行き過ぎて、イエスが聖餐式において言われた「新しい契約」の意味を忘れ、文字と説教による「教え」ばかりが先行する教会が生まれてきたのかもしれません。しかし、「文字は殺し、御霊は生かす」とあるように、外からの文字による教えは私たちの心に自己嫌悪と失望感を引き起こします。

それに対し、「それが良いことだとわかってはしても実行できない」と自分に失望する人に、慰めと力を与えるのが新約の福音です。

聖餐式においては、イエスご自身が、私たちを生かすためのパンとなり、忘れっぽい私たちのためにご自身の血によって新しい契約を思い起こさせてくださるのです。

そして、それを導くのはキリストの御霊の働きです。聖霊は、聖餐式を通してキリストとの出会いを起こし、私たちの内側に住んで神のみこころを実行させてくださいます。

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