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主の御名を賛美します。

今月は引き続き、7月にハワイで行われましたJCFN25周年記念コンファレンスで分かち合われました理事や主事の証をお届けします。
 
【HC2016での理事・主事の証】

JCFN25周年記念コンファレンスが6月30日〜7月2日にハワイで行われました。9月の月報では、中村佐知理事、清水摂北米主事、斎藤真智子北米事務主事の証をお送りします。
「涙の谷を過ぎるときも」
中村佐知
JCFN北米理事

 去る3月5日、次女の美穂が11ヶ月間にわたる闘病ののち、スキルス胃がんで天に召されました。21歳でした。

 ガンが発覚したときは、すでに背骨とリンパ節に転移のあるステージ4でした。まず放射線治療で背骨の転移に対処し、それから化学療法を始めました。化学療法は功を奏し、約5ヶ月の治療で腫瘍マーカーの値が劇的に下がりました。抗がん剤はどうしても副作用が辛いため、症状が改善されマーカーの値も下がったこともあり、娘はしばらく治療を休むことを希望しました。

 そのころは、治療さえ休めばまだかなり普通に暮らすことができました。しかし昨年11月の半ばに、また首のリンパ節にしこりを感じるようになりました。そして12月の上旬にCTスキャンを受けたところ、肝臓に転移していることがわかりました。その時点では、チェックポイント阻害療法という最新の治療法を臨床試験で受けることになりました。とても期待の持てる治療法ということで、医師も本人も私たちも、みな希望を持ちました。しかし、臨床試験は一種の実験なので、条件を整えるためにいろいろな準備が必要でした。そして準備をしているうちに娘の容体は急速に悪化し、結局、臨床試験に参加できる条件から外れてしまいました。

 肺と心膜嚢に水がたまり、急いで手術しないと命にも危険が及ぶ状態になってしまったため、12月末に入院しました。入院は5週間にわたり、その間に症状に対処するための手術を全部で7回受けました。しかしいくら処置をしても後手に回るばかりで、ガンはどんどん広がり、2月上旬には、もう手の施しようがないと言われました。主治医の勧めにより自宅に戻り、家庭でのホスピスケアを始めました。2月12日のことでした。

 娘のガンが発覚する1年くらい前から、私は「観想的な祈り」という祈りを実践するようになっていました。これは、言葉や思考をあまり用いず、ただ神様の御臨在の中に自分を置く祈り、神様の愛を味わう祈りです。私にとっては、憐れみに満ちた善なる主にすべてを明け渡す祈りでもありました。

 自分の生活やこの世の中では、様々なことが起こります。そこには多くの不条理もあります。震災で大勢の人が亡くなることもそうですし、娘の病気のような場合もそうです。なぜそのようなことが起こるのか… 理解しようとしてもわからないことですが、観想的な祈りで主の前に出るときは、そのような不条理を見て見ぬふりするのでなく、正面から見据えます。そこにそういう状況があることを見据えます。しかし、それを理解しようとか説明を得ようとするのではなく、ただその不条理を心に抱きます。それは、両手で何かをそっと包むように持つイメージです。握りしめるのではなく、拒絶するのでもなく、そっと手の上に乗せる感じです。そうやって神様の前に出ていきます。自分には理解できないような状況の中にさえおられるはずの神様のご臨在の中で安らぐのです。

 その祈りにはたくさんの沈黙があります。感情で高ぶる自分の思いを静めるための沈黙、神さまを待つための沈黙、そして、ただ主の慈愛に満ちた御臨在を味わい、その中で憩うための沈黙… 私が沈黙するだけでなく、神さまの側も沈黙なさいます。それは、私の祈りを無視しているのではなく、私の痛みに無関心なのではなく、私の知性や経験では理解しえないこと、説明しえないことを、その御臨在によって私の魂にしみ込ませようとしておられるかのような、神さまの満ち満ちた優しい沈黙です。

 娘の闘病中は、癒しを求めて祈りましたし、娘の症状に合わせていくつもの具体的な請願の祈りもしました。それでも、私をずっと支えていたのは、請願の祈りよりもこの沈黙の祈りだったと思います。神様の御臨在の中で娘を私の手にそっと乗せて祈るとき、あるときは「大胆に求めてごらん」と励まされ、あるときは私がほかの人のために執りなすよう導かれ、あるときは御腕の中でただ泣かせていただきました。

 そのように祈るとは、癒しを求めないとか、どうせ神様の思うようにしかならないと諦めてしまうことではありませんでした。むしろ、私にはまだ見えない、想像することもできないような、大いなる神様の御栄光が現されることを、息をひそめながら待つようなことだったかもしれません。そして、神様の御栄光が現されるとは、苦しみや試練を通してこそ出会えるイエスというお方が、痛みの中にいる私の内に照らし出されることだったのかもしれません。 そうやって主の御臨在の前に膝をかがめることだったのかもしれません。

 娘は信仰は持っていましたが、まだ21歳でした。死にたくないと思っていました。神様が自分に与えてくれた賜物やユニークな経験を用いて、この世の中で特権を与えられていない人たちのために働きたいと願っていました。そして、神様はガンを癒してくださると信じていました。

 結局、美穂は自宅に戻ってから、1ヶ月も経たずに主のもとに帰りました。しかし、私たちに与えられたその3週間ほどの自宅での時間は、とても貴重なものでした。よく、末期ガンの最期は壮絶だと言いますが、残念ながら娘の場合も例外ではありませんでした。娘が亡くなる日の明け方、彼女は自宅で大量の吐血をしました。そして、何か恐ろしい幻覚を見ていたようで、「Help me! Help me! Please stop!」と叫んでいました。ベッドから起き上がって逃げようとするのですが、もう足腰が弱っていて、ベッドサイドにつかまっても立ち上がることすらできず、倒れ込みました。そのときの、焦点が合わないままにカッと見開かれ、宙を睨む娘の目を見たとき、私は彼女の死が近いことを覚悟しました。大勢の方たちが世界中で心を注いで祈っていてくださっていたのに、なぜ?と、絶望に襲われました。そして心の中で叫びました。

 「わが神、わが神、なぜ私と美穂をお見捨てになったのですか?」

 しかし、神様に見捨てられたかのように感じて絶望したその瞬間、イエス様の御腕が私を包んでくださるのがわかりました。イエス様ご自身の苦しみのうちに、娘と私の苦しみが包み込まれたのです。そして、イエス様の十字架の苦しみを見て涙を流されたであろう御父が、血を吐きながら苦しむ娘と、まったくなすすべのない無力な母親の私を見て、涙を流しておられるのを感じたのです。この苦しみの只中で、主ご自身が私たちに寄り添ってくださっているのがわかりました。今あの晩のことを振り返るとき、あんなにも恐ろしく絶望に満ちたかのような状態だったにもかかわらず、あの場面が聖なるものとして思い出されます。まるで神の栄光の雲があの部屋を満たしていたかのように。

 美穂は本当に立派に戦いました。神様の癒しを信じて、ずっと前向きでした。彼女が不安や恐れを口に出すことはほとんどありませんでした。怖くないはずがなかったでしょうに、周囲への気遣いだったのか、それとも前向きでありたいという決意からだったのか、決して弱音をはきませんでした。麻薬系の鎮痛剤を15分に一回使うくらいの痛みになっていたときでさえも、静かにじっと耐えていました。そして、息をひきとる前に最後に彼女が言った言葉は、I love youでした。敵は美穂に神を呪わせたかったことでしょう。しかし美穂は屈さなかったのです。家族に見守られつつ、愛の言葉でこの地上でのいのちを終えました。そのとき、美穂は私の腕の中にいたのですが、私の腕の中からイエス様の腕の中へと、娘をお渡しすることができたのだと思います。

 しかし、私のストーリーはこれで終わりではありません。これで一件落着ではありませんでした。

 私は先ほど、観想的な祈りを通して、娘を私の両手の平に乗せて祈っていたと言いました。私としては、美穂の命は神様の御手に委ねていたつもりだったのです。そうやって祈っているとき、もはや何がなされるとか、なされないとか、そういうことはそんなに重要ではなくなっていくように感じていました。そのときに与えられた平安は、誰も、何ものも奪うことはできないと思いました。本当にそう思っていました。

 ところが、いざ娘が死んでしまうと、その現実はとても「平安」の一言で済ませられるものではなかったのです。その悲しみ、痛みは、私の想像をはるかに上回るものでした。心には後悔の念が押し寄せます。あのときああしていればよかった、こうしてあげればよかった… 毎日泣きました。ただ、私が心がけていたことは、後悔するにしても、泣くにしても、すべて主の前に出てするということでした。私にとって、そこがいちばん安全な場所だったからです。

 多くの方たちが美穂の闘病と死を通して神様に触れられた、神様の御栄光を見たとおっしゃってくださいました。そのことには心から感謝し、主の御名をたたえます。けれども一方で、別の思いも湧いてきました。それは、美穂の闘病や死をきっかけにどんなにすばらしいことが起こっても、私にとってそれは美穂の死を正当化するものにはならないということでした。いくら神様が彼女の死からたくさんの素晴らしいもの、美しいものを生み出してくださったのだとしても、それと引き換えに死んでしまった娘の人生はどうなるのでしょうか。頭では天で主と共にいるとわかっていましたが、それでも私は神様に尋ねずにはおれませんでした。すると神様は、祈りの中で私にある状況を見せてくださいました。それは、娘と娘の犬が楽しそうに遊んでいる場面でした。その場面が浮かんできたとき、神様が「美穂は大丈夫だよ。心配しなくていいよ」と語ってくださったように感じました。さらに、神様は「Hidden with Christ in God」(コロサイ3:3)の御言葉を与えてくださいました。娘は今、キリストとともに、神のうちに隠されている… 深い慰めをいただきました。

 死後の娘が神様のもとにいて安全であるのは、頭では最初からわかっていたことでした。しかし、答えそのものが慰めになったのではなく、娘の闘病と死とその後のプロセスを、納得したり疑ったりを繰り返しつつ、もがきながら、這うようにしてでも神様と一緒に通ったこと、そうやって神様に近く引き寄せていただいたこと、それが私に言葉にできない深い慰めを与えてくれたのだと思います。私に必要だったのは、理路整然とした納得のいく答えではなく、納得のいかない苦しみの中でも、主がともにいてくださることだったのです。今でも私には答えのないことがいろいろあります。しかし、主がともにおられる限り、It is well with my soulと言えるのです。主に感謝します。

 
「4分の一世紀」
清水摂
JCFN北米主事
 
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)

 自分の人生が神様によって大きく修正された1990年のアーバナ宣教大会。それは私の信仰生活の新たな誕生日のようなものでした。そして奇しくも同じ大会でJCFNが始まりました。その後、献身に導かれましたが、神学校在学中に体験した試練を通して神様を信じることを辞めるという決断をしました。しかしそんな私を神様は決して見捨てず、人生を諦めている私を諦めず、私を癒やしの旅路へと導き続けてくださいました。信仰のない中、不思議な事ですが神学校を卒業をすることができました。それと同時にJCFNで初主事として奉仕をしないかと打診がありました。

 私にとってJCFNで働くということは、ただ単に一つの宣教団体で奉仕をするということではなく、私の痛み、悲しみを真っ向から見据え、それと向き合うという意味もありました。つまりそれは、私の癒やしの道だったのですが、当時の私はJCFNで奉仕をするということは、生き残るために死をも覚悟して進む道のように感じていました。そして今心から言えることは、私にとってのJCFNでの献身は、私の信仰の歩みの再出発であり、私が無条件で受けた神様の恵みと憐みを思い起こす最善の場所であり、またその恵みを他の人たちに分かち合っていく機会となってきたということです。

 25歳のときに就任し、主事になって23年が経ちます。私の人生の半分近くがJCFNの歩みであるということは本当にショックな事実です。でもそれと同時に、私は本当に祝福されていると感謝の言葉しか出てきません。これは決して過言ではなく私は心からこう思っています。「JCFNのミニストリーは私のためにある。」と。

 そして、この感謝の気持ちは神様に対してもそうですが、私の神の家族に対しても同じようにあります。私の母教会であるマキキ教会の皆さん、また私の家族や友人は、私の信仰の反抗期も見ながら支えてくださり、信仰のリバイバルを体験したときも祈ってくださり、献身したときも神学校の学びを祈りと経済的に支援してくださり、在学中に試練に遭い神を信じることを辞める決断をした私を何も言わずに支え続け、愛し続けてくださり、癒やしの過程の途中であるにも関わらず、OMF宣教師としてJCFNで奉仕することが神様の御心であり、私の癒やしのためであると私の代わりに信じてくださり、祈り、支えて送り出してくださいました。神様の私に対する愛を、マキキ教会の皆さん、また、私を支えてくださっている家族や友人の多くの方々を通して具体的に体験することができています。
 
 これを書きながら、神様はどれだけ私のことが大好きなんだろう・・・。こんなにも愛されている私は、どれだけ特別なんだろう・・・とただ驚き、感謝しか出てきません。そして思うのです。私が出来ることは、この神様の愛を受け続けること、そしてその愛を流し続けていくことだけだと。

 これからの私の人生の歩みの中でどのように主が働かれるのかはわかりません。留学生事情や世界情勢が大きく変化していく中、海外邦人宣教も変化せざるをえません。そのような変化の中、JCFNがどのように発展していくのか、その中に私がどのように加えられているのか、わからないことは沢山あります。しかし信仰の一歩を進みだすのを恐れず、感謝を捧げるところに(UP)、必ず神様は次の一歩(OUT)を備えてくださっていると確信します。
 
 これからも、「JCFNの働きは私のためにある」と告白できるよう、主の憐れみの中にどっぷりつかりながら、与えられている全てを捧げていきたいと思います。本当にお祈り、サポートを心からありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 
「共にいて下さる神」
斎藤真智子
JCFN北米事務主事
 
 JCFNとの出会いは大学院で学んでいる時で本当に不思議な形でした。元々私はJCFNとあまり関わりがなく、何をしている団体か全く知りませんでした。ところが突然JCFNでバイトをする話が来ました。ちょうどその時OPT期間中の一年間を神様に捧げようと思っていたので私は直ぐに承諾しました。同時にECの受付の奉仕をする事になり、そのECの招きで献身に導かれました。

 EC後、私は献身の召しを与えられたのにも拘らず、それを受け入れる事が出来ず、心に葛藤を覚えていました。自分の過去に捕らわれていた私は、自分が献身者になるなんてふさわしくない、神様も本当の私を知れば幻滅すると思っていました。神様と向き合うのが怖くなり、次第に神様から隠れようとし、まるで自分が救われる前の自分に戻っていっているような気さえしました。

 ”God has no hands but ours” という言葉を聞いたのはその時でした。こんな私でも全知全能の神様に従い仕えても良いのだという何ものにも代えられない神様の愛と恵みを感じました。過去に捕らわれその重荷を掴んで離さず、それを盾に神様から顔を背けた事、神様の愛や約束に限界を勝手に設け、御言葉を信じなかった事を悔い改めました。また、神様は私を神の栄光を現す器として愛し、整え、用いて下さるお方である事を語られ、励ましを受けました。そして過去、現在、未来、全てひっくるめたありのままの自分を全知全能で愛に満ち溢れる主に信じて委ねる祈りを捧げました。そして献身する導きを受け入れました。主は自分の力では自分自身を自由に出来ない私を導きをもって一歩一歩真理の道へと支えて下さいました。その後も主は癒し、勇気、信仰、また愛や、チャレンジ、戒め等を様々な形でここには書ききれないほど与えて下さいました。

 献身を受け入れた後、私をJCFNに導いたのは経験や知識よりも主の導きと積まれた祈りでした。私が分かっていた事は、主が私を献身へと導いてくれている事、そしてJCFNへの扉が開いていたという事でした。献身するとなると「絶対JCFN」と言う情熱と確信がなくてはダメだという固定概念がありました。しかし、主はそんな私の固定概念を大切にする事や条件を満たす事ではなく、主が今輝かせている一歩先にある灯火を信じる大切さを教えて下さいました。そして主は全知全能である神様を信じ、見上げる信仰を私に備えて下さいました。私はただ神様が神であるという事を支えに、主が開いて下さったJCFNの道へと導かれ、日々確信を新にされています。そして今に至ります。

 献身してから決して毎日が喜びに満たされ、薔薇色の人生だった訳ではありません。ましてや日々のブループリントが与えられた訳でもありません。私は何をしているのだろう。もう辞めたい。どうするの。と思う日も多々ありました。しかし、その様に感じる時も、振り返るといつも聖書に表されている主が私を包んで下さり、いつも一緒にいて下さりました。今神学校で学びをしている夫と将来の導きを祈っています。全く先の事は分かりませんが、いつも一歩先を照らしてくれる主をこれからも信頼し、期待し、歩んでいきたいと思います。
 
 
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新年度「年間維持会員」受付中
 
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2016年度の「年間維持会員」を受け付けます。
「年間維持会員」とは、維持献金(年間3,000円/30ドル)をもって、
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よろしくお願いします。

 
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