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「私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません」(Ⅱコリント5:16)

高橋秀典
JCFN理事

revtakahashi六、七年前から、牧師の仲間から、「高橋先生は最近、変わりましたね・・」とか、「先生のこと、誤解していました・・」などと言われることがたびたびあります。以前の僕は、よほど変人と思われていたのかも知れないと思って、苦笑してしまいますが・・・。しかし、振り返ると2001年末に米国で開かれたイクイッパー・カンファレンスの講師としてご奉仕させていただいたのが、肩の力を抜いて牧会をする良いきっかけになったのかと思います。僕は、それまで日本の教会の中での自分の生き難さの原因を、「帰国者クリスチャン固有の問題」という枠で見ることができていませんでした。どちらかというと、自分の神経症的な性格傾向が牧会を難しくしていると自分を責め続けていました。

しかし、あのカンファレンスの場で、米国で信仰に導かれた多くの若者とともに主を賛美しながら、自分の回心の原点に立ち返り、このままの自分が創造主なる神に受け入れられているという何とも言えない感動を味わうことができました。僕は、約35年前にオレゴン州ポートランドで信仰告白に導かれ、27年前ドイツのフランクフルトでの証券会社勤務のときに伝道者へと召されました。海外にいなければ、人生の重大な決断をすることができない弱さを抱えているのかもしれません。考えてみれば、日本にいては信仰の決断が難しかった人が、日本の教会文化に適用するのに困難を覚えるというのは当然のことと言えましょう。そして、同じような課題を抱えている者たちが、一同に会するとき、そこに不思議な連帯感と力が生まれます。ところが、そのような人も、同じような霊的な体験を共感し合える仲間がいないと、つい肩に力が入って、「これだから日本の教会はだめなんだ、アメリカの教会では・・・ドイツの教会では・・・」などと連発して、ひんしゅくを買うことになってしまいがちかもしれません。ですから、私たちにとって、帰国者クリスチャンとの交わりを持つことは、妙な力みを抜く上で非常に大切なことと言えましょう。

ただし、同時に私たちはそれぞれまったく別の枠で自分をとらえ、また、共感しあえるということも忘れてはなりません。たとえば、僕は北海道の開拓農民のせがれでチームワークが苦手、二十歳少し前から自分の神経症的な傾向に人知れず悩んできた者、同時に、信仰者として証券会社の営業をしてきた者、団塊の世代の後のしらけた世代、でも、ドイツが好きでルターを尊敬し、旧約聖書を読みながらわくわくし、人の悩みを聞くことは苦痛ではない・・・その他、いろんな切り口で自分を紹介することができます。そして、それぞれの面で共感できる人と出会うと、心が安らぎます。帰国者というのは、それら数多い切り口のひとつに過ぎません。私たちの創造主は、ひとりひとりに限りないほど多くの異なった問題とカルチャーの中であなたを導いてくださいました。それらひとつひとつが、この世的にはハンディキャップになることでもありますが、主はそれらすべてをご自身の働きのために豊かにお用いになることができます。帰国者という枠だけで自分を測ることは、あなたに対する創造主の期待を自分で狭くすることになりかねません。「私たちは今後人間的な標準で人(自分)を知ろうとはしません」とのみことばを味わい続けましょう!