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ymikami三上洋輔
JCFN理事

一年間のカナダ留学を終え大学4年次に復学し、翌1977年春に卒業した私は就職がままならず郷里で一年契約の県庁臨時職員でした。大学のゼミ仲間全員が正規公務員として社会人をスタートしたのを横目に、臨時契約間に仕事を探さなくてはなりません。両親は「キリストの信仰と言っても、結局は人からの助け。」と。それは臨時職員となれたのはツテがあった現実を見透かした言葉でした。祈りすれども虚しく時が経ち、信仰生活と実社会の生活は別物と考えるようになっていた頃、全国紙地方版の某楽器メーカー中途募集広告がたまたま目に入り採用試験に応募しました。採用通知を手に「やった!実力があってのこと、信仰なんて関係なし」と洋々と新入社員研修にむかったのが1977年10月。忘れもしません。研修初日「わが社の社訓はマタイ5章の山上の垂訓にある地の塩、世の光からきています。」という人事担当の説明に私の体は机に凍りつきました。

もともと海外勤務を希望していましたので、日本にいながらにして海外勤務ですと北海道勤務をアッピール。その通りに札幌でサラリーマン生活をスタートし、この2月末サラリーマンのユニフォームを脱ぐまでの32年間の内、スウェーデン(ヨテボリ)、オランダ(ユトレヒト)、アメリカ(ミシガン州)、カナダ(トロント)での駐在生活を通して海外で新生し日本に帰国される方々の現実を知りました。

そして、信仰生活と実社会の生活は別物ではなくて表裏であり、神様はこの愚かな者のサラリーマン生活でさえご自身のみわざを示すために用いられたことを今は確信しています。サムエル記I 23:24-29の「仕切りの岩」は神様がダビデの人生に介入されたことを見事に描写しています。国内営業のある部門の責任者への異動があった時、国内に全く人脈がない私にはもう目が点の事態。最近ある牧師先生「それは目が天でしょ」と。もうこれは天を向くしかないと心し、土曜の朝はがらんとした事務所で特約店や部下のことなどを祈りました。もし部下がその時の私を見れば「うちの部長は気が狂った」の世界。しばらくして需要喚起の追い風がありこれまで不可能と言われていた黒字化が実現。主は生きておられる。ある夜、西馬込駅からアパートへの坂道を私は涙で歩いていました。

もう少しで二十歳を迎えるJCFNもこれまでの歩みに神様の介入をなんども経験させられて今日に至っています。カラシ種ほどの信仰の歩みではありましたが、これまで幾度となく「仕切りの岩」の局面を見せて頂いたことは恵み以外のなにものでもありません。今や、リターニーやこのミニストリーに関わる一人ひとりに与られている賜物が十分に用いられ、それぞれが受けた恵みを活かしてユニークなミニストリーが生み出されるようにより効果的なリソースの提供やサポート役をこれからのJCFNに私は期待しています。