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松本沙季
JCFN東京会員
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」ヨハネの福音書1章1節の箇所です。
実は、私はこの「ことば」の意味がずっと分かりませんでした。もちろん、これはイエス様を意味している、ということを聞いてはいましたけど、私には「どうして“ことば”何だろう?」とずっと不思議でした。

松本沙季saki
JCFN東京会員

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」ヨハネの福音書1章1節の箇所です。

実は、私はこの「ことば」の意味がずっと分かりませんでした。もちろん、これはイエス様を意味している、ということを聞いてはいましたけど、私には「どうして“ことば”何だろう?」とずっと不思議でした。

私は大学で映画の脚本を専攻していました。脚本を書く面白さにのめり込んで行く一方で、心の中に「いつも一人でやっている」という思いがありました。なので、クリスチャンになった後も、映画作りをどう神様に繋げていいか分からなかったのです。

そんな時にecのスキットの脚本とディレクターの奉仕の話が来ました。舞台の脚本は初めてでしたが、ダイレクトに神様のことを語れる機会が与えられて、すごく嬉しかったのを覚えています。そして今までの自分と神様との歩みを思い出し、書き始めました。

しかし、脚本はできたけれど、役者が見つからないこと。クリスチャン二年生の私にはクリスチャンの友達がまだ少ないこと。これらがあって、なかなか思うように事が進みませんでした。

初めはわくわくしていたのに、次第に一人でやっている気分になってしまいました。寂しくて、悲しくて、人に腹を立て、誰にも分かってもらえない孤独の中にいました。「どうして神様のためにやっているのに、私、今一人なんですか?」とクリスマス礼拝の時に嘆きました。

しかし、25日の朝に神様はとんでもないものをプレゼントしてくれました。

それは私の嘆きを分かってくれる、それ以上に嘆いてくれる人が一人だけいた、ということです。神様でした。

神様はクリエーターとして私たちを創造しました。私もクリエーターとして自分の脚本のキャラクターを創造し、愛しています。そしてそのキャラクターがないがしろにされることは、たまらない思いになるんです。だから、私たちもないがしろにされたり、自分で「要らないんだ」と思う時、一番苦しいのは自分たちではなく、クリエーターである神様なんだ、ということが痛い程分かりました。私が2日間悔しくて泣きはらしていたので、もし私たちが自殺なんかしたら神様の悲しみの深さはどの位だろう、と想像するに耐えません。

skitどうして私は物語を作るのがこんなに好きなんだろう?きっとそれは神様のこの思いを知るためだったんだ、と確信しました。これは全てのクリエーターにシェアできるもの凄い素敵な神様の視点だと思います。

そしてec当日では素晴らしい役者が与えられ、神様の恵みを体験しました。一番後ろで見ている時、私の力が本当に1であることを感じました。それ以上でもそれ以下でもない。だけど、皆と神様が10にしてくれました。それがとても嬉しかったです。

ecから帰って、私は日本へ完全帰国、という大きな決断をしました。しかし、一番初めに書いたヨハネの箇所がふと頭に入って来たのです。

私にとって、脚本は自分自身であり、いのちです。ことばを紡いで世界を造り、キャラクターを造る。だけどそのことば自体が神様だったこと。そしてその作業の中に神様がいたことに気づきました。神様は本当に私を一人にしていなかった。これは私のオリジナルの解釈かもしれないですけど、こうしてことば一つ一つを書く時に神様がいてくれることが心強くて嬉しい。日本に帰っても、脚本を書いていても、神様がそばにいてくれること感じます。

神様はこのecでの奉仕を通して、とても大きなことを教えてくれました。それはこれからクリエーターとして生きていく私に勇気を与え、希望を与えて下さいました。これからも神様とともにことばを書き続けたいと思います。