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杉田政志 revsugita
オハイオ州コロンバス、ダブリン日本語チャペル

ec11 ワークショップより

占い、悪霊の惑わしの業

日本はスピリチュアルムーブメントだ。血液型、色、風水、星座、タロット、画数、手相、コックリさん、ウィージーボードなど占いにも色々とある。それの信じ方、利用の仕方も十人十色である。将来の事、自分のことをもっと知りたいと言う動機で占いに走る場合があるが、聖書の中では占いはしてはならないと書いてある。それは、私たちが期待すべきなのは唯一全知全能の神なのに、占いはその神に期待させない悪霊の惑わしの仕業なのだ。また、他者よりも自分のことに関心を向けさせようとする。

弱みを突いて妥協させる占い

旧約聖書の中で占いという言葉は27回出てくる。申命記18章9?14節では占いはもちろんのこと異教的な事、文化的なものに汚染されないようにと書かれている。人選のためにイスラエルの民や祭司の間でも占い、くじ引きはあったが、徐々に異教的なものへと変化したため最終的に廃止された。聖書の中の預言は言葉を「預かる」と書くが、それは御言葉をもって将来を見て行くことであって占いとは違う。占いは悪霊的な影響が大きく、様々な形で魅力的に見せる事ができるので危険だ。将来や運勢、良い出会いのための関心は強いし、星占いぐらいいいじゃないかと妥協もしやすい環境が我々を占いに引き寄せて行くのだ。

真の人生の祝福を奪うのが占い

真の人生の祝福というのは困難、試練、病、孤独、絶望、これらの向こう側にあるのだということではないだろうか?本当に人の痛みが分かり、苦しい時に力になれる人は自らが試練を体験している。パウロは真の人生の祝福を理解していたので、獄中でも死に直面しても、恐れず、約束を信じ、神からの使命を全うすることができた。「この生き方が最も祝福」と受け止めているなら、私たちの将来に何が起こるのかを見る事(占い)よりも、共におられる主を見つめるほうが良いのだ。困難は忍耐を生み、忍耐は練達を、練達は希望を生むという約束があるにも関わらず、私たちは占いによって問題を回避し、困難を避けようとする。占いはこれらの約束の全てを失ってしまう行為である。

占いの縛る力

脳は聞いた事に縛られるものだ。だから、ある占い師に「今日、あなたには必ず悪い事が3つ起こる」と言われたとすると、あなたはその一日の中で必ず3つ悪いものを探す。歩いていて足が当たったことで1つとか。逆に「あなたには3つ良い事が起こる」場合は、普通だったらなんとも思わないことでも必ず繋げる。私たちは言われた言葉に縛られてしまうものなのだ。

人の堕落は占いの始まり

最初の占いの傾向は、エバがあの禁断の実を食べた所ではないだろうか?目には好ましく、食べたら賢くなり目が開けて神のような知恵が得られ、自分の将来が分かる実。食べれば自分で自分の人生をコントロールできるようになり、神なしでも自分で全部判断できるようになるのだ。つまり、エバはこの実を食べると言う事で、神から自立し、自分で将来を切り開く選択をしたのだ。しかし、人はそのようには造られていないので、自信がなく、それが将来に対する不安につながり、占いに依存する人生につながるのだ。

自ら見極めるべき点

占いも含めて全ての私たちのすることに関して見極めなくてはならないのは、自分の決断は更に自分を神に近づけ、神に信頼しているからなのか、あるいは、神以外の物に頼ろうとさせるかという点である。選択の結果が恐れを取り除くのか、それとも恐れを増す結果になるのかも見極める必要がある。また、自分の決断が自己中心ではなく、他者のことを思っているかも見極める点である。

占いをしている人との接し方

星占いやゲーム感覚でテレビの占いを見ている友達に、これは悪霊の業だと言ってもピント外れだ。まず、自分が御言葉を約束として受け止める必要がある。エレミヤ29章11節、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」やヨハネ16章33節では、イエス様に会えば全て大丈夫だとは書いていない。私たちの人生には、神様を信じ従っていても、試練があるし、病気にもなれば人に裏切られたりもする。しかし、イエス様は「勇気を出しなさい。私はすでに勝利しているし、この勝利を持ってあなたを導くから。」と言っている。

占いは伝道のきっかけ

人々が占いに示している興味の背景にある将来に対する不安、感じている孤独、今まで受けてきた傷を理解することが大切だ。占いに興味がある人が聖書に興味がないのではない。むしろ、占いをする人は将来の事を知りたいと思っているのだから、聖書は世界で最も権威ある宗教書であり、将来の事を語っているので、彼らにアプローチするカギを既に持っているのだ。

逃れようとしている困難は宝

ローマ人への手紙5章には「私は困難さえも喜んで受け入れようとしている。」と書いているので、占いをしている人たちに、困難は、実は自分のためにも周りの人に仕えるためにも用いられるという約束、意味があるのだと伝えることができる。第1コリント10章13節には、あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることがないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように逃れの道も備えておられる、と書いている。私たちに起こる全ての事は創造主が分かった、きちんとふるいわけした事しか起こらない。主は神に愛する者、すべてのことを万事ともに、ご計画沿って召された者とともに働いて万事を益としてくださるのだ。(ローマ8:28)

これらの約束は、占いに頼り、不安だから将来を知りたい、そうすることによって問題を回避し、楽な道を選ばないと幸せになれないという偽りから解放し、本当の平安を与える。聖書が占いを禁ずるわけは、占いそのものがいかに不必要なものであるかを示しているからだ。

心に留めるべきもの

「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)

占いは神への信頼を奪い、不安を駆り立て、心を縛り、真の幸せから遠ざける。占いで回避しようとする将来の困難こそが、神を体験し、真の祝福を受け取るところだ。占いで迷っている人たちには、占いをきっかけに、御言葉にある希望を握り、その背後にある不安に応えて下さる神様を紹介できるようにと願う。