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池田裕規

初めに自分が教会に来たのは、3年ほど前でした。きっかけは、自分と同じクラスにいた友達が家庭集会に誘ってくれたことです。その日が土曜日だったので、次の日は教会ということで、ついでに教会に行ってみない?ということで、行きました。その頃自分は、まったくイエス様だとかクリスチャンの事を知りませんでした。

もちろん、家柄もまったくキリスト教とは無縁でしたし家族のほとんどが仏教だったり神道でした。しかし、自分の場合は、あまり抵抗なくその日から毎週教会に行きました。そして、その年の終わりに「EC 05」を知りました。しかし、自分はまだ教会に来て間もなかったので、EC05の参加は控えさせていただきました。次の年2006年の4月ごろに教会のユースバンドに入れさせていただくことにより、その時まであまり話したり深い関わりのなかったユースの高校生や大学生との関係も深まり本格的に教会の奉仕に関わるようになりました。そしてその年の終わりに洗礼を受けクリスチャンとなる、神様との和解をすることができました。しかしクリスチャン生活は始まったのですが、今回EC07で証したどおり、家庭的にすごく問題があり、特に自分には、二人の父との関係が炸裂したままでした。一番辛かったのが洗礼を受けクリスチャンになったその3日後でした。義理の父が突然家を出て行くと言い残し、そして元の家庭に戻ると言って出て行ってしまったのです。その当時自分は、辛いというよりも悔しいという気持ちがありました。なぜかというと、自分は8歳からその時まで義理の父に心を開いて真剣に向き合って会話をするということがなかったからです。いつも自分は、義理の父がとった行動や言った酷い言葉を根に持って恨んだり赦せない心を持っていたからです。そしてもう一人の父(実の父)についても、自分が小学校二年生だったあの時、義理の父に「母と自分をよろしくお願いします。」と言い残し自分達を義理の父に預けて出て行った事もう本当に赦せない気持ちいっぱいでいました。でも、クリスチャンとなり人を赦す事が大事だと知った自分は、実の父と和解の一歩を踏み出すという事を決意し、2007年の夏、一時帰国をした時に実の父と約6年ぶりの再会をし、真剣に男同士で話し合い、和解をすることができました。一方で、義理の父に対してはまだ和解をするという決意が今回のECの時まですることができていませんでした。


しかし、今回のECで米内先生のお話の中でお父様が亡くなる前に話しができなかった事に対してすごく後悔したという話を聞いてすごく心を打たれました。そして鍵和田先生のメッセージの中でも和解の一歩を踏み出しなさいという事をすごく語られました。そして、ECの後、ちょうど義理の父がハワイに休暇に来ていたので、話すことができました。まだ、一歩という所までは行けませんでしたが、また今年の夏、一時帰国する予定なので、祈りながら少しずつ話していきたいと思っています。

そして、もう一つ、今回のECのテーマである和解について改めて気づかされたのが、やはり和解をする時というのは、お互いただ心を開いて言いたい事を言い合いスッキリして関係を戻すという事ではなく、コミニュケーション、つまり言葉を選ぶという事が大事だという事です。ただ、形だけで和解するのではなく、本当の意味での和解をする つまり、お互い何も後から引きずる事がないようにするという事が本当の和解だと思いました。特に和解をする時以外でも普段のコミニュケーションの中でも言葉を選ぶという事を一人一人が心がけていけるよう祈っていきたいと思います。