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安藤理恵子
KGK総主事

第2テモテ2:19
キリストを信じる者としてほんものになることは、どこの国であっても難しい。日本でも、アメリカでも、必ず誘惑と攻撃があって、戦いなしに生きることはできません。暖かい交わりに守られてきた後、環境が変わったり親しい人が取り去られると、私たちはすぐへこたれてしまいます。でも、交わりがいまいちだからといちいちめげてはいけないのです。むしろ、交わりのないところに交わりを作り出し、建て上げることこそが私たちの使命なのですから。

ほんものの信仰者であるには、アイデンティティを明確に持っていることが必要です。国籍や文化の好みを自分が何者であるかの決め手にしてはいけません。「自分はキリストのものである」という自己理解が私たちの中で徹底することが必要です。パウロが言う「神の不動の礎」とはキリストを指します。キリストによって私たちが救われる、という事実は決して揺り動かされない。そしてそのキリストを信じる者にとって、同様に揺り動かされない真理が2つある、と「銘が刻まれている」という表現でパウロは説明します。

すなわち①主が私たちを選ばれ、私たちを知っている、ということです。この世界が造られる前から、あなたが救われることは神が定めていました。今あなたの気が多少落ち込んでいるくらいで、昔から定められていたキリストにある立場が変わったり減ったりすることはありません。救いにおいても、人生においても、主役はあなたではなく神なのです。そしてキリストを信じた、ということは、「私の人生の主役はキリストであることに同意します。すべての権利をお返しします」ということなのです。

2つ目は、②信じた者は主の命令に従うに決まっている、ということです。信仰を持ったと言っても、聖書を読まず、他の信仰者の助言を聞かず、教会に連ならないのは、信仰を与えられた者としてはありえない生活なのです。その証拠に、そのような生活をしていると、私たちはなんとなく満たされず、いらいらして、神に対して素直でなくなり、開き直ってきませんか。それは、私たちに与えられた聖霊が内側で私たちに「向きを変えて神に従うべきでしょ」とあなたに気付かせようとしているのです。葛藤があることそのものが、あなたがすでに救われている証拠です。そのとき、聖霊のささやきを無視する者にならないでください。むしろ、聖霊が何を言っているのか、聖書を読んで、自分にはっきりわからせなければなりません。

みこころを求めていくら祈っても、聖書が手元にありながらも読まない人には、みこころはわかりません。毎日の生活の中で神のことばを聞き分けていなければ、どんなに集会でハイになれても、信仰生活は破綻します。あなたを選ばれた神は、今日もあなたに選ばれることを望んでいます。もしあなたが本当にジーザスを愛しているなら、彼の願うところを聖書から学び、従う今日を選んでください。