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nakamurasachi_kao1中村佐知
JCFN理事
「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。」(二コリント4・6-7)。

ダラス・ウィラードは『Renovation of the Heart』という本の中で、「土の器」と「宝」の区別について興味深い考察をしています。「土の器」とは私たちの肉体であり、肉体を持って生きるこの世の生活で体験する出来事です。そこには文化や伝統や社会生活、またそれぞれの地域教会での体験なども含まれます。「宝」とは神を知り、神を信じる信仰、また愛なる神との個人的な関係とそこに現される神の臨在です。

イエスも土の器を持っておられました。約2000年前にイスラエルの地に生きたユダヤ人としての器です。今日の私たちも、それぞれの土の器を持っています。海外在住日本人としての器、帰国者としての器、あるいはずっと日本の地にいる者としての器… 誰もが、それぞれの器を通して神を知り、神との関係を体験します。

宝は永遠ですが、器はやがて朽ちます。とはいえ、大切なのは宝なのだから、宝だけ持てば良いというわけにはいきません。この地上に生きる私たちは、器なしに宝を持つことはできないからです。そのため、ときには宝と器を混同する過ちを犯すことがあると、ウィラードは指摘します。器に入れていただいた宝こそ、究極の価値を持つものなのに、宝よりも器(特定の体験、プログラム、ライフスタイルなど)にこだわってしまうのです。そして人が宝を持つためには、みな自分と同様の器を持つべきだと思ってしまうことさえあるようです。

それぞれの器は、私たちが神に出会い神との個人的な関係に入っていくために、主が与えてくださったものです。ですから、器をないがしろにするのでなく、かといって誇るのでもなく、そこに入れていただいた宝のゆえに互いの器を尊重し、主に感謝したいものです。JCFNに関わる皆さんは、多種多様な器を持っておられることでしょう。その多様さによって、宝の素晴らしさが一層際立つのではないでしょうか。私も各地におられる皆さんという器と、その中で主が輝かせてくださっている宝のゆえに、主に感謝します! いずれは朽ちる土の器に、尊い宝を入れてくださった主イエスの御名が、全地でほめ讃えられますように!