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ANRC09メッセージ要約
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中川 健一
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ主幹

「父なる神は移住者の神である」ということを、アブラハム、ヤコブ、ヨセフの人生と、荒野でのイスラエルの民の歩みを通して見ていきたい。
 
アブラハムが登場する前、人類は3回失敗をしている。一回目は創世記3章のアダムの失敗。この失敗により、私達はもはや神の栄光の前に出られなくなった。その神の栄光のことをユダヤ人たちは『シャカイナ・グローリー』と呼ぶ。二回目は創世記6-8章のノアの時代の失敗。地上に人の悪が増大し、神は地上に人を造ったことを悔やみ、大洪水が起こった。三回目は創世記11章のバベルの塔。人類は塔を建てて神のようになろうとした。そして12章から、神は全く新しい方法で人類を救う計画を立てる。それはアブラムという一人の人を招いて移住者の生活を命じることから、神の救いの歴史を始めるというものである。
 
アブラハムが移住者になれとの命令を受けた時、神とアブラハムの友情が始まった。彼は聖書の中で3回「神の友」と呼ばれている。(2歴代20:7、イザヤ41:8、ヤコブ2:23)アブラハムの神の友としての歩みは、生まれ故郷を離れて神の示す地に行くという、物理的、精神的、文化的に分離して移住者になるところからスタートしている。献身は分離から始まり、そこから数々の祝福がスタートするのだ。そして、アブラハム一人の決断が普遍的な祝福に繋がるのである。私達は地上においては最後まで寄留者であり、そしてもう一度神の栄光の御座であるシャカイナ・グローリーに招かれている。
 
ヤコブもまた移住者として異国の地で訓練された。(創世記28章以降)兄のエサウから長子の権利と祝福を奪ったヤコブは、兄から命を狙われ、叔父のラバンのもとへ逃げるが、その途中、ベテルという場所で絶望の時に神が自分と共にいてくださるということを体験し、彼の信仰は知的信仰から体験的信仰に飛躍する。これは、彼の第一回目の生涯のターニングポイントである。全ての者から見放されたと思った瞬間、神はヤコブの目の前に現れて彼を祝福したのだ。そして神はアブラハムに与えた契約をヤコブに与えた。
 
創世記32章でヤコブは第二のターニングポイントを体験する。ヤコブはある人と夜明けまで格闘するが、この「ある人」とは神ご自身、受肉前、つまり人として誕生する前のイエスである。名前を聞かれ、「ヤコブ(押しのける者)」と答えた時に、彼は敗北と勝利を同時に経験する。敗北を通して自分の本質、つまり押しのけきた者だと認めたヤコブに、神は「あなたはもうヤコブではない。イスラエルだ。神の王子なのだ。」と言って勝利を与え、彼は解放されたのだ。
 
創世記39章以降でヨセフが登場する。ディアスポラという言葉には強制移住と故郷への帰還の情熱とが要素として含まれている。ヨセフは無理やり移住させられたが、ミイラになって故郷に帰還したディアスポラの原型と言えるだろう。また、彼は寄留の地で奴隷から宰相になることによって、イスラエルの十二部族が将来エジプトに移住するためのBridge builder(橋渡し的役割)ともなった。彼は自らの移住者としての使命を理解した人でもあった。私たちも自分のこれまでの歩みを振り返ると、「この時のために私はこの体験をしてきたのだ」という瞬間があるのではないだろうか。ヨセフはイスラエルの民を導くBridgeになり、イスラエル民族は一大民族として成長した。自分の使命を自覚した人だけが、怒りや憎しみの感情なしに神の計画を喜んで受け入れることができるのだ。
 
さて、父なる神は、40年間イスラエルの民を荒野で訓練した。出エジプトの出来事は移住先のエジプトの神々への裁きであり、奴隷を自由にした事件であり、この解放は全人類の解放のモデルとなる出来事だ。神は旅の途中で民を訓練する。雲の柱と火の柱が民を導くが、これは移動する神の姿であり、目に見えない神の栄光(シャカイナ・グローリー)の現れである。イスラエルの民はまさにそこに神がおられることを目撃し、神と共に歩んだのだ。
 
そして移動中に神はイスラエルの民が最も必要なもの、モーセの律法を与えた。これは約束の民としていかに生きるべきかを教える律法だ。私たちにも今心の中に聖霊によってキリストの律法が覚醒されている。この律法はイスラエルの民と異邦の民とを区別する分離する壁となった。私たちを神を信じてない人と区別するものだ。それが世の光を持っているということだ。
 
神は、幕屋もイスラエルの民に与えられた。それは、民がいかに生きていくべきかということを教えるものであり、神を礼拝する場でもある。幕屋が教えているのは、神が命じた方法以外では、罪人は神に近づく道がないということだ。年に一度、大祭司だけがそこに入り、シャカイナ・グローリーと人類との接点になったのだ。祭司は民と神の間に立つBridge builderだった。
 
三位一体論から言うと、子なる神もまた移住者の神だ。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)というこの言葉は、「ことばは肉をとって、私たちの間に幕屋を張られた。」と訳せる。旧約時代の幕屋に現れたシャカイナ・グローリーは、イエスの時代にはなくなっていた。神の栄光がない真っ暗な至聖所の中で働かなくてはならなかった大祭司は、天幕をちょっとずらして外の光を中に入れ、人工的なシャカイナ・グローリーを作ったのだ。
 
日本の教会にリバイバルが起こるためには人工的なシャカイナ・グローリーでは戦えない。ヨハネは、地上の幕屋の至聖所ではシャカイナ・グローリーはなくなったが、御子イエスが栄光の御座から移住者として私たちの罪の世界に移住された時に、この方の肉体という幕屋の中にあの旧約時代のシャカイナ・グローリーが宿ったと語っている。そして彼はこの方の栄光を見たと大胆に叫んだ。天地を創り、あらゆる栄光を父なる神と共有しておられた御方が、わずか3キロの赤子として姿を変えて地に現れてくださった。これ以上の移住があるだろうか?
 
御霊なる神、聖霊なる神も移住者の神だ。使徒2章のペンテコステの日、ペテロのメッセージを聞いて救われた人々は、ほとんどがディアスポラのユダヤ人でエルサレムに上ってきた人たちだった。だから使徒たちが伝道に出かける前に、ディアスポラのユダヤ人たちはエルサレムで聞いた「イエスは主なり」という、イエスが十字架につき、私たちの罪の贖いを成し終え、三日目によみがえり、天に昇り、今も生きておられて、やがて帰ってこられるというメッセージを自分たちの生活圏に持ち帰ったのだ。
 
今日、父なる神も子なる神も御霊なる神も私たちを派遣しようとしておられる。そして移住者の神が私たちを召しておられて、もう一歩ボーダーラインを超えるように召しておられる。今、御霊が語っておられることに忠実に従い、さらに献身しよう。罪に足をすくわれている人は今その罪を告白して、きよめていただこう。ビジョンが与えられている人たちは、さらにその具体化に向けて前進するように祈ろう。
 
この記事は、ANRC09のメッセージからの要約です。全体のメッセージは、CD、あるいはDVDで聴くことができます。www.jcfn.orgのリソースセンターからお申し込みください。