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齋藤由美子
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JCFN山形会員
私は山形県のある小さな村で、妙智会という、先祖供養と親孝行を重んじる新興宗教を熱心に信じる両親の元で生まれ育ち、自分自身もその信者でした。
高校時代に、あるアメリカのアイドルグループの熱狂的なファンになり、アメリカに行ってみたいという一心から必死に英語を勉強しました。そのときに通っていた英会話教室の先生がアメリカ コロラド州出身のクリスチャンで、その先生の紹介で高校卒業と同時に渡米し、コロラド州デンバーのキリスト教大学に留学しました。ホームステイ先がスコットさんという熱心なクリスチャン夫婦の家で、彼らが毎週日曜日に連れて行ってくれた教会でも大勢のクリスチャンの友達に恵まれました。私は、彼らの人柄や行いの中に日本では体験したことのない温かさを感じ、自分も彼らのようになりたいという思いから、友達が見つけてきてくれた日本語の聖書を読み、彼らにもいろんな質問をし、やがて神様を信じて洗礼を受けました。その事を、彼らはもちろん、私が会ったことの無い人達までが「あなたのために祈っていました」と言って、面食らうほどに喜んでくれました。
その一年後、夏休みに一時帰国で実家に帰ったのですが、私がクリスチャンになったことを知った両親、特に母の怒りは何かが乗り移ったかのように恐ろしいもので、怒鳴ったかと思えば無視したり、殴ったり、物を投げたりが連日続き、身に危険を感じて近所の家に逃げ込んでかくまってもらったこともありました。母ほど動揺していないように見えた父も内心穏やかではなかったようで、私のいないときに茶の間で暴れて消火器を噴射し、部屋中真っ白にしてしまったことがありました。
結局親には勘当を言い渡され、ほとんど物を持たない状態で実家から放り出されてしまいました。本当はアメリカに戻りたかったのですが、次の学期分の学費が払えるだけの資金がなく、断念せざるをえませんでした。かけがえのない家族を失った悲しみと、これからどうしようという不安で打ちひしがれていたところ、このとき奇しくも仕事でデンバーから地元を訪れていたクリスチャンの取り計らいで、隣町のクリスチャン夫妻の家で農作業を手伝いながら置いてもらえることになりました。ここでは、食べる物、住む所の必要が満たされただけでなく、山岳信仰が深く根付いた異教の地で信仰を持って、たくましく暮らす人達の日常を間近で見るという、貴重な経験をさせていただきました。
一ヶ月近く経ったころ、彼らが私のために同じ町で住み込みの仕事を見つけてきて下さいました。そこは霊山の麓で宿坊という修行者向けの宿を営む山伏の家で、家の中にも外にも偶像がごろごろ置いてあり、怖がりの私にとってはお化け屋敷も同然でした。でも、選り好みできる状況ではありません。私はここでお手伝いさん、ベビーシッター、宿坊の女中、近所にある山岳信仰の博物館の臨時職員として、早朝から深夜まで休日もなく働いたのですが、この家の人達は私をとても大切にしてくれましたし、いつも神様の臨在をはっきり感じることができ、どんなに働いても疲れず、心は喜びで満たされ、あんなに怖かった偶像や暗闇もいつの間にか怖くなくなっていました。
そんな生活が2ヶ月程続いたころ、親から「帰って来い」という連絡がありました。もう二度と会えないかもしれないと思っていた家族を、神様は私に返して下さったのです。
実家に帰ってからも、親の態度は以前と全く変わりませんでしたが、この時点でちょうど次の学期の学費分のお金が貯まっていましたし、スコット夫妻が無償のホームステイ受け入れを申し出てくれたこともあって、すぐにアメリカに戻ることができました。
その後3年位スコット家で暮らしながら大学で勉強を続けました。家からの仕送りを止められることもありましたが、もうだめかと思う度に神様は必要を満たして下さいました。また、スコット夫妻は、半分親に見捨てられた状態の私を実の娘同様に扱い、愛情を注いでくれました。アメリカに帰ってすぐに、デンバーの日本人教会にも集うようになったのですが、ここで日本語による日本流の教会生活が体験できていなかったとしたら、帰国後日本の教会で、アメリカの教会との大きなギャップに即挫折していたかもしれません。
学校を卒業した後、本帰国して山形の実家に戻りました。相変わらず親の態度は冷たく、同居する私より年上の弟のお嫁さんからは陰湿ないじめを受けました。でも、何より辛く、悲しかったのは、親の目を盗んでまでも行った地元の教会があまりにも冷たかったことでした。そこでは、アメリカで信仰を持った私はクリスチャンとして認めてもらえず、「由美子さんが神様を信じるようにお祈りしましょう」と言われてみんなに祈られるという屈辱的な経験もしました。他には行ける教会がなく、しばらくは我慢したのですが、あまりの愛の無さに、ついに耐え切れなくなって教会を離れました。私はいつの間にか家族や教会を憎むようになり、神様にも背を向けてしまいました。
でも、神様は私のことを見放してはいませんでした。帰国して半年近く経った頃、私が働いていた市役所に、市内の小中学校の補助英語教師としてアメリカからギル夫妻という信仰に篤いクリスチャンを送り、私を彼らのお世話係にして下さったのです。私達はすぐに意気投合し、公私共に親しく付き合うようになりました。
彼らに出会って間もなく、声をかけていただいた国際交流のための施設に転職することになったのですが、ここでも同僚のカトリックの女性からひどいいじめを受け、私は心身共にぼろぼろになりました。このいじめから逃れるために転職先を探しましたが全く成功しません。そんな私をギル夫妻は本当に良く支えてくれました。二人が教会に行きたいというので、私がつまずいた教会を紹介すると、すぐに通い始めるようになり、私も彼らの影に隠れるようにして再び教会に顔を出すようになりました。魅力的な2人の影響で、教会は異物に対して以前よりオープンになりました。彼らが2年の任期を終えてアメリカに帰国した後も、教会には海外から続々と素晴らしいクリスチャンが送られ、また、教会で救われた高校時代の同級生が大親友になり、彼らの存在によって私は引き続き教会に居場所を見つけることができました。次第に「日曜日は礼拝に行きたい」という思いが強くなり、日曜日に休めない職場を、次の仕事が決まらないうちに退職することにしました。今考えると無謀なのですが、それでもその思いに神様は応えて下さり、思いもよらない方法で、すぐに新しい仕事を与えて下さいました。とっても小さい印刷会社でしたが、神様がそこに備えて下さっていたのは、日曜日に礼拝に行ける環境だけではありませんでした。
実は、帰国後間もなくから、あるノンクリスチャンの男性と4年以上お付き合いをしていました。私は、離れた町で暮らす彼と結婚すれば地元から脱出してもう一度人生をやり直せるのではないかと考えていました。彼も結婚を考えてはくれていたようですが、具体的に話が進まず、終いには彼の家族に、彼と信仰どちらかを選択するように迫られ、ずっと握り締めて離せなかった夢をあきらめて私は信仰を取りました。こんな田舎だから、クリスチャンの自分が結婚する機会はもうないかもしれないけど、それでもいいから、イエス様だけを見上げていこうと決意したのです。
そんな私が今では一児の母です。主人とは新しい職場となった印刷会社で同僚として知り合いました。彼は自分から興味を持って教会に行き、牧師から聖書を学び、救われて洗礼を受けました。その間、私のためにクリスチャンになるようなことはしないで欲しいという思いから、自分から神様の話はなるべくしないようにし、ただ彼の救いのために祈っていました。結婚についての具体的な計画を私達は持っていませんでしたが、それも神様が回りの人達を用いて実現させて下さいました。
結婚式にはスコット夫妻が証人として参加してくれたのですが、初対面の主人に向かって「由美子がホームステイを始めたときからずっと私達は由美子の伴侶のために祈ってきました。あなたがその祈りの答えです。」と語ってくれました。10年という長い間、この人達は私のためにとりなしの祈りを捧げてくれていたのです。彼らは、いまでも私と家族のために祈り続けてくれています。その祈りは、あれほどキリスト教を毛嫌いしていた両親にも劇的な変化をもたらしました。今では二人ともキリスト教やクリスチャンに対して好意的で、神様や教会に対しても興味を示すようになっています。
海外で信仰を持った人達の多くが、帰国後に信仰を失うと聞いています。私も帰国後、そうなりかけましたが、今でも信仰を持ち続けていられるのは、私の努力によるものでは全くなく、どんなに私が背を向けても、自分の方から私を追いかけて祝福し続けて下さった神様と、スコット夫妻を始め、重荷を持って私を祈りで支えて下さる人達のおかげです。全ての栄光を神様にお返しいたします。